当初国鉄労働組合の人たちが逮捕されてしまった松川事件とは

松川事件とは

第二次世界大戦後の日本の歴史や現在まで解決されていない事件について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では終戦後間もない時期に発生した日本国有鉄道(にほんこくゆうてつどう いわゆる国鉄こくてつ)にまつわる事件の一つである松川事件(まつかわじけん)について私なりに書いてみたいと思います。ちなみに国鉄にまつわる終戦後それ程年数の経過していない時期に発生した有名な事件には他に下山事件(しもやまじけん)と三鷹事件(みたかじけん)があり、松川事件も含めて三大事件と呼ばれることがあります。松川事件の発生した場所は福島県内で国鉄東北本線の駅である金谷川駅(かなやがわえき)と松川駅の間に敷設されている線路上でした。夜間青森を出発し東京の上野に向かっていた列車が脱線、転覆してしまいます。この脱線、転覆により機関士を始めとして列車の乗務員のかたがたが3名亡くなられてしまいました。また4名ほどのけが人が乗客や乗務員の方々に出ています。脱線の起きた現場が調べられたのですが線路がカーブ、曲がっているところでカーブの外側のレールが外されていたことが判明します。そのため単なる事故による脱線、転覆ではなく何者かが線路に細工をおこないわざと脱線転覆するようにしたことで発生した出来事ということとなるため、警察が線路に手を加えた者を捜査することとなりました。捜査により国鉄の労働組合関係者や民間企業の労働組合関係者が逮捕されます。しかしその後おこなわれた一連の裁判では当初死刑判決が出ていた人もいたものの、その後の上級裁判所での判決内容が大きく変化し結果的には逮捕された人々は無罪と判断されました。脱線、転覆という出来事も裁判の経過も世間から大変な注目を集める結果となります。

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事件現場

前の項目でも述べましたが、線路がカーブしている地点で外側のレールが外されていました。これでは脱線し大事故になってしまうのは当然です。現場付近には外された外側のレールが置かれていました。隣接するレールを連結、固定する役目を果たす継目板(つぎめいた)という資材があるそうなのですが、レールの一部をはずすために継ぎ目板も外されていましたし、犬釘(いぬくぎ)という線路の枕木に刺してレールを固定するための部品も抜かれていました。敷設されている線路の固定部品が抜けたり外れたりしてレールが外れて付近に移動する、などということは自然に起こるはずもなく誰かがかなり手間をかけない限り実行するのが難しいはずです。世の中では犯人が何者なのかで事件に関して意見が分かれているようですが、人為的なこと、ということについて異論は無いようです。

逮捕された人たち

事件が発生したのは昭和二十四年(1949年)の8月17日でしたが、発生してから一ヶ月ほど後に福島の国鉄労働組合関係者と民間企業である東芝の労働組合関係者が逮捕されました。警察は今回の事件を、逮捕した者たちが共同で謀った犯行だと見なします。逮捕された者たちは事件を起こして警察の視線をそらし国鉄や東芝の労働組合活動に対する警察の介入を排除しようとしたというのが警察側の見立てでした。当時の国鉄も東芝も人員の削減、解雇が実施されていた時期で、国鉄の労組も東芝の労組も経営側に対して強く抵抗していました。東芝は福島県に松川工場という拠点を抱え、労働者側の抵抗は他の拠点同様強かったようです。この事件で東芝の労働組合関係者が出てくることについて個人的には唐突な感じがしましたが、東芝が福島県内に拠点を持っており、当時は国鉄と同様、民間企業でも労働者側にとって大変な状況だったといった背景がありました。

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判決の変化

逮捕され被告となった人たち。最初の裁判、一審では犯行の中心的存在として死刑判決が出た人たちもいました。しかし上級裁判所での審議がおこなわれる過程で、謀議がおこなわれたとされている時間帯に明らかに別の場所で犯行と全く関係のないことにたずさわっていたことを示す証拠の存在が判明したり、犯行に使われたとされる道具がまったく根拠のないでっち上げの物品であったことなども明らかになるなど警察、検察側の主張が判事から信用されなくなっていきました。結果的には被告となっていた人たち20人全員が無罪判決となります。一審で5人に死刑判決が出て他の人たちも無期懲役などの有罪とされていたそうなので判決内容は大きく変化したと言えます。この裁判はえん罪の疑いが強いということで被告となった人たちの家族や小説家などの著名な人たちによる正当な裁判の実現を求める活動が全国的に広がり、世間から大変注目される結果となりました。

裁判は終わったものの

被告となっていた人たちは裁判によって最終的に無罪と判断され、社会に戻ることが認められたので不幸中の幸いだったと言えます。かつて被告人とされた方々は国に対して賠償を求める裁判を起こしました。いわれのない罪を着せられて長い間自由を奪われていたのでその間の損失を被告だった方々が要求するのはもっともな話です。裁判所も国に賠償を命じる判断をしました。奪われた時間を取り返すことなど出来ませんが賠償がされただけまだましでしょう。かつて被告となった方々にとっては一応の収束ではありますが、では実際に線路を破壊したのは誰だったのかについては明らかにされることなく、この事件は時効となってしまいました。時効となってしまったのは昭和三十九年、1964年の8月、事件発生から15年後のことです。

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今回は国鉄にまつわる未解決事件の一つである松川事件について取り上げました。教科書にも松川事件という名前は載っていましたし、松川駅付近での列車の脱線、転覆といった簡単な説明はされていました。しかしそういった事件の名称や列車の転覆という説明だけでは正直この松川事件という出来事の意味合いがよくわからないような気もしたので、もう少し内容を確認してみたく今回のようなテーマの記事を作ってみた次第です。米国の圧力もあって政府が物価の上昇を抑えるために国の予算を相当削減するという方針になり、政府関係機関である国鉄が大規模な人減らしを実行に移すという状況であったことは下山事件や三鷹事件と同じような時期に発生した松川事件も同様です。そのため松川事件を起こしたのは過激な労働者勢力などではなく、労働組合関係者が引き起こしたと世間に思わせて労働組合に対する風当たりを強めることで労働組合側の人員削減に関する抵抗を弱めようという政府や米国といった体制側の謀略だと考える人もいるのだそうです。しかしそんなことを証明する明らかな根拠の存在もありませんし、わかりません。事件の犯人を目撃したと言われる人物が不可解な死に方をしているなどといった話もあるそうですが、これについても私個人がしっかりと確認できる話ではありませんので、ここで話を紹介しても噂話の伝言程度の意味しか持たないでしょう。しかし実際にそんな出来事があったとしたのなら、犯人らしき集団を目撃してその後亡くなったというかたも松川事件の被害者と言えるでしょう。一般的に知られる反社会的な犯罪組織が列車の脱線、転覆を引き起こすことで利益を得られるかというと疑問ではあります。ただ何者が引き起こしたにせよ、理由がどうであれ、他人の命が失われてしまうとしても、敢えて自分たちの目的を果たすために許されない行為を実行するといった恐ろしい連中が世の中には存在するということをこの事件が示していることは確かです。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事では風待人さんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。

他の国鉄関連事件、下山事件について触れている記事「政府が1949年に国鉄の労組関与を表明した下山事件とは」はこちらです。

1970年代の日本の世の中を騒がせることになったロッキード事件について触れている記事「ロッキード事件で田中角栄さんにどんな判決が出たのでしょう」はこちらです。

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