1927年の南京事件とは?この事件に関する日本側の対応も
1927年の南京事件とは
南京事件(なんきんじけん)とは他の年代にもそのように呼ばれる出来事がありますが、ここでは1927年に発生した出来事について書いていきます。1927年の南京事件とは中国大陸の東側の大きな都市、南京で西暦1927年(昭和2年)中国大陸の武装勢力や南京に住む中国人が南京に存在していた他国の外交官が駐在する拠点領事館や他国の人たちが暮らす居留地などを襲撃し暴行や略奪、殺人などの犯罪行為をしたという出来事です。当時中国大陸の南部で強い力を持っていた「国民政府」の軍隊、国民革命軍が国内を統一するため他の地域の軍閥、武装勢力を倒す北伐(ほくばつ)と称する軍事行動をしていました。国民革命軍は徐々に支配地域を拡大していました。1927年南京を支配していた他の武装勢力は撤退し国民革命軍が南京に入りました。国民革命軍が南京に入った後、この軍の一部の兵員が南京市内にある他国の領事館や居留地を襲い、暴行や略奪、殺人などの犯罪が行われてしまいました。日本人一名、イギリス人三名、フランス人二名、アメリカ人一名、イタリア人一名、デンマーク人一名がこの事件で亡くなられました。この出来事を重く見たイギリスやアメリカは南京の近くを流れる大きな川、長江に軍艦が停泊していたのですがその軍艦から南京に対し大砲を撃って革命軍を攻撃しました。この砲撃でたくさんの革命軍の中国人、南京に住む中国人が犠牲になったそうです。一説では2000人の死傷者が出たということですがそれを否定する意見もあり定かではありません。1928年に国民政府側と各国との間で協議が行われ、国民政府側が賠償責任をとり外交的には決着がつきました。
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1927年の南京事件の原因
よく指摘されるのは国民革命軍内に共産主義を信奉している兵員が多数いてその勢力が南京市内で計画的に犯罪行為をおこなったというものです。南京で犯罪をおこない国民革命軍の責任者である蒋介石に批判が集まるように仕向け、蒋介石を追い落として共産勢力が国民革命軍の主導権を握ることを企てたというわけです。実際イギリスはそのように判断し、この事件後国民革命軍内部の共産勢力に強い影響力を持っていたソビエト連邦と国交を断絶しています。またイギリスは蒋介石に共産勢力を国民革命軍から除くよう要求し、その結果蒋介石は革命軍内で共産主義を信奉していると思われる兵員を粛清することとなります。他の理由として国民革命軍と戦い、敗れた武装勢力が南京の中国人を扇動したという指摘も一部ではあるようですが、実際のところはどうなのかよくわかりませんでした。イギリスの動向をみると前者の可能性が高いのかなという気はします。
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日本側の対応
南京の領事館で発生した出来事が本国に連絡されました。日本の軍艦がこの事件の時、他の国のように長江に停泊していました。日本の軍艦から兵員が派遣され領事館に避難していた日本人を守りながら軍艦へ収容しました。ただこれは被害が発生する前に行ったことではなく、日本の領事館が襲撃され被害が発生した後の対応です。上でイギリスやアメリカが南京に向けて砲撃したことを書きましたが日本にも砲撃に参加するようイギリスやアメリカから働きかけがあったそうです。しかし当時の日本の内閣は中国国内に干渉しないという方針をとっていたためこの南京攻撃に参加しませんでした。幣原喜重郎さんが外務大臣を務めていた頃のことです。幣原外交と呼ばれる外交政策は英国や米国と利害が対立しないよう協調し、中国国内の内戦については干渉しないという方針が特徴のようですがこの出来事に際しても中華民国の国内情勢に干渉しない、中国国内の武装勢力と衝突しない、という方針がとられる結果となりました。英国、米国との協調はこの件ではしていないことになりますけれど。
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今回は南京事件について取りあげてみました。これまで東方会議や山東出兵、済南事件を取りあげてきましたが南京事件はその前に起きた出来事で時系列が前後してしまいました。ただこの南京事件で日本人が被害を受けたことにより日本国内で当時の日本政府の対応に批判が集まったそうです。その後誕生した田中義一内閣が中国大陸で生活する日本人を保護するため積極的に派兵するのはこの南京事件のような出来事があったからだそうなので、この出来事を調べてみようと思いました。当初国民革命軍が支配した地域で治安が悪化すると見られてはいなかったようで、あまり警戒もされていなかったようですね。内戦が起きている国に滞在するというのは本当に危険と隣り合わせだなと感じます。しかもこれまでのいきさつ(日本はかつて清国と戦争をしました)もあって日本人は中国大陸の人たちから反感を持たれていたでしょうから、危険性はより高かったのでしょうね。やむを得ない事情で国を離れ他国で生活するという方もおられるでしょうが、どこの国と具体名をあげるつもりはありませんけれど、反日感情が強い国に滞在する場合はこのような歴史的事実が大きな教訓になるのではないかという気がします。情勢を慎重に確認して、少しでも心配であれば速やかに避難する判断が必要なのではないでしょうか。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
幣原喜重郎さんの関わる話「協調外交とは?中心となった幣原さんや強硬外交についても」はこちらです。
幣原さんが全権の一人として関わっている話「四カ国条約とは?この条約の内容や日英同盟との関わりについても」はこちらです。
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