聖徳太子による成文法と言われる十七条の憲法の制定目的は

聖徳太子が十七条の憲法を作った目的は

十七条の憲法に関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では聖徳太子が作ったと言われる十七条の憲法について、作られた目的を中心に述べてみたいと思います。十七条の憲法は西暦604年、推古天皇(すいこてんのう)という方が天皇だった時代に制定されました。飛鳥時代の出来事ということになります。条文にある「和を以て貴しと為す(わをもってとうとしとなす)・・・」などといった表現は耳にした方も多いのでしょう。十七条の憲法は名称の通り十七条の条文から出来ている、主にお役人の方々を対象とした守るべき、掟、規則を集めたものと表現することが出来ます。作った人物として聖徳太子さんがよく挙げられますが、彼が作ったというのは事実ではないといった説もあります。たとえ聖徳太子さんではないにせよ、どなたかによって十七条の憲法が推古天皇の時代に制定されたのは事実でしょうし、制定したのには何らかの目的があったはずです。聖徳太子さんが作ったとも言われるこの十七条の憲法、この規則集は天皇を中心とした政治体制を確立するという目的や政権内の秩序を維持することを目的に作られたという指摘が多いようです。

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天皇を中心とした体制にしたかった

この十七条の憲法が制定されたころの日本では天皇の権限が他の豪族と比べてそれほど違いがあったわけではなかったと言われています。その後の時代でも起こってしまいますが、有力な豪族勢力によって天皇の後継を理由に皇族のかたが結果的に命を奪われる状態に追い込まれることもありましたので十七条の憲法を制定した人々が抱いた理想というのはすぐに実現したわけではなかったのですが、この憲法が作られる以前にも蘇我馬子(そがのうまこ)という人物をリーダーとする有力豪族の蘇我氏(そがし)が天皇の地位にあった人物(崇峻天皇すしゅんてんのう)を暗殺するなどということも起こってしまっていました。恐ろしい話です。天皇を凌ぐ力を持った豪族が政治に大きな影響力を持つような状態は天皇を中心とした政治体制とは相容れません。中国大陸では隋という国が誕生し皇帝を中心とした政治体制を敷いている状況でした。いつまでも有力豪族が幅を利かせる状態のままだと日本が立ち遅れてしまうといったことを懸念し理想の政治体制にするためこの憲法が作られたという指摘は多いようです。十七条の憲法の第三条では天皇の命令には必ず従うよう説かれていますし、第十二条では国に二人の君主はいないことや主人は天皇だけであることが説かれています。

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政権内の人材を統制したかった

政権内で働くお役人さんたちの行動をきちんと統制したかった、コントロールしたかったという目的もあったと言われているようです。聖徳太子さんが推古天皇のもとで政策に関与するようになって以降、身分が高くなくても有能な人材がお役人として政権内で採用されることも増えたようで、従来の身分の高い人達だけがお役人になるような仕組みとは異なった状況になっていきました。以前に比べ様々な立場の人が政権に関わるようになったので役人のあり方、心得を十七条の憲法という形でとりまとめ役人の方々にしっかり守ってもらおうと考えた、そのような見方もあるようです。第四条では役人は礼儀を正しくするよう説いていますし、第五条では賄賂を受け取ることを戒めています。第八条ではお役人は朝早くから夕がた遅くまで仕事をするよう説いていますし、第十二条ではお役人が勝手に税を人々からとりたてないよう戒めてもいます。様々な条文で役人が守るべき心構えが説かれました。

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今回は十七条の憲法について一部取りあげました。聖徳太子が政治をしていた頃の出来事として大変有名ですし、制定目的については個人的によくわかっていなかったということもあり今回のようなテーマで記事を作ってみようと考えた次第です。この主(おも)に役人を対象とした掟を作ったことによってお役人の方々の行動がどの程度正されることになったのかについては何ともわかりませんし不正をはたらく役人がすっかりいなくなったなどということは考えにくいような気がしますが、政権の正式な規則を掲げることによって不正行為を抑制するきっかけにすることは出来たのかもしれません。お役人さんの不正行為というのは現代であってもテレビで事件として取りあげられるのを見かけることがありますし根絶するのが難しい課題なのでしょうね。天皇を中心とした政治体制を確立するといった一部の人たちの理想は、この憲法の制定によって実現したわけではなく、乙巳の変(いっしのへん)、大化の改新という実力行使(つまり蘇我氏のリーダーを暗殺したという行為)によって果たされるという点も現実の厳しさを示しているような気がしました。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

古代の日本で制定された法令について触れている話「大宝律令たいほうりつりょうとは簡単に言うと何なのでしょう」はこちらです。

鎌倉時代に制定された規則について触れている話「御成敗式目(ごせいばいしきもく)とは?簡単に説明しますと」はこちらです。

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