讒謗律、新聞紙条例とは?この法令が出された目的について

讒謗律とは

 

讒謗律(ざんぼうりつ)とは西暦1875年(明治8年)6月に明治政府から出された法令です。讒謗律の「讒謗」という言葉は人の名誉をおとしめることを意味しています。

ある人にとって不名誉な行為を明らかにして人に広めることを讒毀(ざんき)として、ある人の悪い評判を広めることを誹謗(ひぼう)とし執筆物や絵を使ってそのような内容を人々に見せたり、売ったり、貼り付けて内容を知ることを可能にしたりする行為を処罰するという内容でした。

名誉を傷つけられた人物が人々から批判されるような行為を実際にしていたかどうかは讒謗律の処罰に影響しなかったそうです。ある人が批判されるようなことを実際にやってそれを糾弾したとしてもある人を讒毀、誹謗したと政府が見なせば罰せられるということですね。

 

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新聞紙条例とは

 

新聞紙条例(しんぶんしじょうれい)は讒謗律が出されたのと同じ年の西暦1875年(明治8年)に出された、規則が守られるように新聞を管理するための法令です。

新聞紙条例という名前ではありますが新聞紙に限らず、雑誌も管理対象となったそうです。この法令が政府から出された翌年には、全国に数百も存在していた新聞の約4割が消えたそうです。

この法令によって新聞、雑誌の発行には公的機関の許可が必要となりました。また、記事を書いた場合、記事を書いた人の名前、住所をその記事にきちんと記載することやペンネームで記事を書くことを禁じることや当時の法律で犯罪とされた行為を擁護するような論調の記事を書くことを禁じる等といったことも含めて様々な規制が盛り込まれました。

 

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讒謗律や新聞紙条例が出された目的

 

よく指摘されるのは、自由民権運動が拡大することで関連した言論活動が活発となるのを抑えることがこのような法令を政府が出した目的であるという主張です。

上記の通りこれらの法令は西暦1875年(明治8年)に出されています。前に記事として取りあげた自由民権運動が広まるきっかけとなったと言われている民撰議院(みんせんぎいん)設立の建白書が当時の立法府である左院(さいん)に提出されたのは西暦1874年(明治7年)の1月でした。それ以降自由民権運動が盛んになっていくわけです。

讒謗律や新聞紙条例は建白書提出の翌年(1875年)に出されている法令です。自由民権運動を意識した法令であることは指摘されている通りなのかもしれません。

また、とってつけたような理由に聞こえる気もしましたが、日本社会に欧米のような個人の名誉を守るための法律が必要だという留学経験者らによる政府への意見申し立てがあって作られた法令であるという経緯もあるそうです。ですので、当然と言われればその通りですが目的の一つとして個人の名誉を守るということもありました。

 

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今回は讒謗律、新聞紙条例を取りあげてみました。征韓論に敗れて政府を去った政治指導者の人たちが反政府運動を始めていったことに対する政府の姿勢を示す反応だと言えるように思いました。

先ほど書きました通り、新聞紙条例には記事を書く場合、記事を書いた記者の名前と記者の住所を書かなければならないという決まりが設けられたんですよね。プライバシーの保護という意識が感じられず、記事を書いた人を危険にさらすことで言論活動を抑える意図が感じられる気がして正直怖いなと思いました。記事と反対の意見を持った過激な人が襲撃してこないかと記者の人たちは心配しながら活動しなければならなかったんでしょうね。

新聞紙条例でペンネームでの執筆が禁止されたのですが、それを理由に本名をペンネームに変更したかたまで出たのだそうです。

公正な言論活動によって社会が得られる良い効果とは何なのかなということを考えると、大勢の人々が正しく状況を理解することで的確な意見を持つようになって、まともな世論が形成されて、それが政治に反映され良い政策につながるということになるんでしょうか・・・。

そういうことだとすると、まともな言論活動が出来ない社会の場合、人々は実際の世の中を誤って理解し歪んだ世論が形成されて、それが政治に反映されて的外れな政策につながっていくことになるのかもしれません。民主主義社会で言論活動が健全に行われなければ国は衰えていくのかもしれませんね。

専制政治、独裁政治をしている社会では言論活動を自由にすると反政府活動を勢いづかせてしまうので、言論の自由は体制の維持にとって邪魔だと為政者は判断する傾向があるように思います。そう考えた時に出してくるのが今回取りあげたような言論を規制するための法令なのでしょうね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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