民撰議院設立建白書とは?提出者や大まかな内容について

民撰議院設立建白書とは

 

民撰議院設立(みんせんぎいんせつりつ)の建白書は西暦1874年(明治7年)の1月に有志の人たちが当時の明治政府に申し立てた意見書です。この意見書の提出がその後の自由民権運動のきっかけとなったことや選挙によって選ばれた議員による議会の開設を政府に要求した最初の建白書(政府に対して申し立てる意見書)として非常に有名なのだそうです。この意見書は当時の立法機関である左院(さいん)に提出されました。

西暦1873年(明治6年)に政府内で征韓論を巡る論争が発生し征韓論を主張していた人たちが明治政府を去ることとなりました。明治政府を去った人たちはそれぞれの方法で政府批判を行うことになりますが、この民撰議院設立の建白書提出はその政府批判の動きの一つのようです。

 

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民撰議院設立建白書の提出者は

 

この建白書は一個人ではなく複数名の名前で提出されています。建白書に書かれている順番に元土佐藩士の古沢滋(ふるさわしげる)さん、元土佐藩士の岡本健三郎(おかもとけんざぶろう)さん、元徳島藩士の小室信夫(こむろしのぶ)さん、元越前藩士の由利公正(ゆりきみまさ)さん、元肥前藩士の江藤新平(えとうしんぺい)さん、元土佐藩士の板垣退助(いたがきたいすけ)さん、元土佐藩士の後藤象二郎(ごとうしょうじろう)さん、元肥前藩士の副島種臣(そえじまたねおみ)さん、以上8人の連名となっています。

板垣退助さんは自由民権運動で活躍した人として非常に有名ですよね。後藤象二郎さんは元土佐藩の元藩主山内豊信(とよしげ)公に大政奉還を幕府に進言するよう申し入れた、坂本龍馬さんと関わりもあったあの後藤さんです。

江藤新平さんは前の記事で取りあげた佐賀の乱で反政府勢力の指導者にまつりあげられたあの江藤さんです。

由利公正さんは明治政府の参与として、有名な「五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)」作成に関わったかたです。

副島種臣さんは明治新政府で役人として活躍された方で今の外務大臣にあたる外務卿にもなったかたです。清国の人が奴隷となって他国に送られてしまいそうなところを救ったという逸話があり、その行動が国際的に評価され非常に有名となったそうです。(マリア・ルス号事件)

岡本健三郎さんは明治新政府で役人として活躍されていた方です。征韓論争を理由に政府を去り自由民権運動に参加され後に三菱財閥の有名企業であった日本郵船の理事にも就任された方です。

古沢滋さんは明治新政府で役人として大蔵省で仕事をされその後イギリスへ留学されました。留学後この建白書制作に関わることとなります。一時新聞社で仕事をされた後に政府の役人、県知事として活躍されます。後に貴族院議員にもなられました。

小室信夫さんは明治新政府で役人として活動し欧州留学後に古沢さん同様建白書制作に関わりました。その後は財界で活躍され様々な企業の設立に関わったそうです。この方も後に貴族院議員になられました。

 

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民撰議院設立建白書のおおまかな内容は

 

建白書には、現在の日本の政治権力は明治政府の少数の役人が握っていて自分勝手な政治をしている。このままでは日本国が衰えてしまう。このような状態を打開するには日本に議会を創設し公明正大に議論を行い、政治を行うしかない。議会を創設するなら国民による選挙を行い、その選挙で選ばれたものを議員とし議会で活動させるべきだ。現在政府で権力を握っている少数の役人の権限を制限することによって国民の多くがより安全、幸福な社会を享受することになるだろう。そのためこのような陳情を行うこととした。といった内容が書かれているようです。役人の専制政治のままでは日本が傾いてしまうから正式な国民の選挙を行って選ばれた人たちが議員となる議会を速やかに設立し、政治を行うべきだという主張のようです。

 

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自由民権運動を記事にしようと思いましたが具体的に何から取り掛かるとよいか考え、きっかけとなったと言われている民撰議院設立建白書を取りあげてみました。議会を作るように求めた要求書であることはなんとなく知っていましたが、誰が提出した意見書だったのかはよく知りませんでした。佐賀の乱で捕えられ処刑されたあの江藤新平さんもこの建白書に関わっていたんですね。佐賀の乱のような武力闘争ではなく自由民権運動のような言論活動を江藤さんがされていたら政党の設立などいろいろな活躍をされていたのかもしれないなと感じました。あのような最期となって残念な思いがします。

また副島種臣さんは征韓論を巡って政府内で論争して政府を去った一人として名前を聞いたことがある位でしたが、清国の人を奴隷の境遇から助け出したことで有名な方だったんですね。この清国の人を救った話、大変立派な話ですが今まで全く知りませんでした。こういう話を知ることが出来たのも歴史を調べることで得られる収穫なのかなという気がします。

確かにこのような有名人の方々が連名で政府に意見したとなるとインパクトがあって全国的にニュースになるでしょうね。運動に勢いが付きそうに思います。やはり政治活動では名の知れている人の関与があるほど効果的なんですかね。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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