戦後の闇市とは何なのでしょう?判事さんの件も

戦後の闇市とは

 

戦後、第二次世界大戦が終了した後に闇市(やみいち)と呼ばれるものが日本国内の主に大きな都市に広がっていきました。闇市とは闇取引(やみとりひき)で入手された品物を販売するようなお店がたくさん集まっていた場所のことを言います。しばらく時期が経過してからは「闇市」ではなく「ヤミ市」と表現されるようになっていきました。違法である印象を薄める意味合いがあったようです。闇取引というのは物資の売買を、許可されている業者を通さずにおこなうことや規則で定められた価格とは異なる値段で売り買いすることを意味しています。法律に違反した商い(あきない)のことですね。闇市では生活に必要な品々、食料品がそろっていました。この闇市で取り扱われる品物の価格は国が当時定めていた価格と比べてはるかに高額だったそうです。国が様々な品物に関して価格を定めていたということ自体が今の世の中から見ると驚きではあるのですが、国の方針によって既に戦時中の時点で様々な物資の価格を国が決めるようになっていました。そのような国の定める価格よりもはるかに高い値段で品物が売買される闇市の店舗での商売がなぜ成り立ったのかというと、戦後極端な品物不足で人々が困っていたからです。戦争が終わるまでは品不足ではあったものの、国から必要な物資が配給される仕組みがそれなりに機能してはいたのだそうです。しかし戦争後人々が頼りにしていた配給の時期がどんどん遅れていってしまいました。配給される量も少ない状態で配給だけをあてにしては生活出来ないような程度となってしまっていたのです。

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人々はそのままでいては飢えてしまうことになってしまいますので、自分の土地を利用して作物を栽培したり地方の農業従事者を訪ねて作物を購入したり、闇市で必要なものを購入しなければならなくなりました。闇市で売られている品物が高額であっても背に腹は代えられません。飢え死にしては話になりませんから必需品は高額であっても人々が購入していきました。戦後人々が困るほど品物が不足するようになったのは国内の物資の生産量が戦争の被害で生産設備などが破壊されたり敗戦による混乱によって非常に低下していたことや物資の陸上輸送が戦争の被害の影響で滞りがちだったこと、凶作のため1945年のお米の生産量がとても少なかったことなどが理由となっていたようです。一方、闇市に高額ながらも人々にとって必要な物資が揃っていたのは、日本軍の軍需物資やアメリカ軍を中心とする占領軍が横流しする物資、地方の農業従事者、漁業関係者から仕入れた農作物、魚介類があったからなのだそうです。日本軍の軍需物資が闇市で売られるというのは、日本軍の軍需物資を軍関係者が自分のものにしてそれを他人に売却したということです。まさか国が軍需物資を闇市の店舗に売るはずもありませんから。憶測ですが占領軍の物資の横流しも似たようなものなのだろうなと思います。法に違反するような商行為で集まってきた品物が売買される場所なので本来は警察が取り締まる対象になるのですが、闇市は人々が暮らしていくうえで欠かせない存在となってしまっていたため厳しく取り締まることも出来なかったそうです。

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こうした闇市(ヤミ市)は物不足の状態が解消されていくにつれて次第に影をひそめていくことになります。朝鮮戦争(1950年に始まりました)によって日本での生産活動がとても活発になってからは闇市の勢いも衰えたのだそうです。戦後食料不足で人々が困っている時代、法律に反している闇市の物資を手に入れることを避け続け、その結果体を壊し命を落とされた判事、裁判官もおられました。山口良忠(やまぐちよしただ)というかたの話が有名なのだそうです。東京で裁判官として活躍されていた山口さんは経済分野の犯罪で逮捕された被告の裁判を担当することが多かった方だそうですが、被告となる人の中には闇取引によって逮捕されるような人々もいました。裁判官としてそのような人々を裁く立場の自分が闇取引によって入手された品物を売買するような闇市を利用するわけにはいかない。そんなことをするならば自分は被告人を裁く資格など無いと山口さんは考え、闇市の品物に手を出さなかったそうです。配給の品物と自分の土地で栽培した作物で何とかしようとされましたが、それでは生きていくのに必要な量を満たすことが出来なかったようで栄養が足りず体を壊し1947年に亡くなられてしまいました。

 

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今回は戦後の闇市について取りあげました。戦後、人々が苦しい思いをしていたことを示すような存在ですし、なぜそのようなものが出来ていったのか個人的によくわかっていなかったこともあって調べてみようと思いました。深刻な物不足、配給制度の崩壊が理由のようですね。しかし、人々のもとに配給として届く物資がなかったものの、軍需物資(戦地の兵隊さんたちが現地で利用するような品々)があってそれを軍関係者が自分のものにして売却するなんていう話があったのですね。そういうことは知りませんでした。帝国陸海軍は名誉を重んじる組織だと思うのですが、一部にはそんな動きも出てしまっていたということですから戦争に敗れてしまうと軍組織の規律も乱れてしまうということなんでしょうかね。生きるためにやむを得ずやったということなのかもしれませんが。そういった点では闇市に手を出さず命を落とされた山口さんの信念というのはすさまじいものがあります。今回記事を作って戦争で大きな被害が出てしまうとこういった物不足が深刻化して、政府もすみやかに解決することはなかなか難しいものだったということを知ることが出来ました。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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政府の政策によって経済が混乱した明治時代の話「松方財政とは?この経済政策が行われた背景や影響について」はこちらです。

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