甲午農民戦争(東学党の乱)とは?発生した原因についても

甲午農民戦争とは

 

甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)は西暦1894年(明治27年)に朝鮮国内で発生しました。農民の人たちが中心となった勢力によって起こされた役人に対する武装蜂起です。この勢力の指導的な立場に立っていた人物は「東学党 とうがくとう」という宗教組織の関係者(宗教組織の当時のトップだったようです)でした。この出来事に東学党の人たちも関わっていたことから、甲午農民戦争を「東学党の乱」と呼称することもあります。

この武装蜂起事件は朝鮮半島の南側に朝鮮国が設定していた行政区域の全羅道(ぜんらどう)で発生しています。農民の武装組織を鎮圧するため、朝鮮政府が軍隊を派遣しましたが、農民側は政府軍を撃退することに成功しました。その結果農民側が全羅道の中心地の一つ、全州(ぜんしゅう)を制圧します。

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朝鮮政府側は農民勢力に好きなようにされてはかなわないということで、まず清国に軍事支援を要請しました。当時の朝鮮政権は清国との結びつきが強かったので、清国に助けを求めたんですね。

朝鮮政府の求めに応じ清国の軍が農民武装勢力を鎮圧する目的で朝鮮領内に入ります。ここで清国は日本と天津条約という約束事を交わしていたため、日本側に清の軍隊が朝鮮に入ることを伝えました。天津条約にはそのような決まりがあったのです。この清国からの伝達によって日本国も軍隊を朝鮮領内に送り込みました。その理由は朝鮮領内の日本公使館といった関連施設の警備や日本人の保護のためということだったそうです。

このような展開になってしまい朝鮮政府は日本と清が朝鮮国内で戦争を起こしてしまうことを心配し、日本、清の軍隊に早く朝鮮から出て行ってもらうため農民武装勢力側との争いを終了させようとしたそうです。朝鮮政府が農民側からの要求を聞き入れて、政府と武装勢力との間の戦闘は一旦は収まっていきました。

 

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甲午農民戦争が発生した理由

 

この武装蜂起は地方のお役人さんの行動が理由で発生したようです。全羅道内の一地域を管理していたお役人が、規則にはそのような税が無いにもかかわらず、その地域の民衆から税を徴収し、しかもそれを自分のものとしてしまうという出来事が起きていました。

ただでさえ苦しい生活を強いられていた地元の民衆はそれを知って怒り、不正をはたらいた役人の上部機関に訴えたそうです。しかしなぜか訴え出た民衆が弾圧される結果となってしまいました。

このような地方行政側の対応に納得がいかなかったため、農民の人たちは武装蜂起をするという手段に出たようです。税負担を軽くすることや汚職をして私腹を肥やす役人を罷免すること、穀物を国外に流出させないことなどを求めました。

もともと全羅道に限らず朝鮮国内では朝鮮政府が民衆に課していた税負担が重く、役人による民衆からの規則に無い税を名乗った財産の徴収や賄賂といった問題行為、日本などへの穀物の流出による穀物価格の上昇で一般の人たちの不満は非常にたまっていたようです。

 

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今回は甲午農民戦争について一部取りあげてみました。日清戦争に至るまでの朝鮮国内の出来事を順に調べてみましたが、この件に関して日本と清国の動向が多少入り組んでいるため今回は日本と清国の武力衝突以前の話までとさせてもらいました。

この農民戦争を調べていて不思議なのは農民の勢力が政府軍に勝利するという結果です。農民の人たちが武装蜂起するとしても近代的な武器を揃えるなどということは無理な話ですよね。軍資金がたくさんあるはずが無いですし。相手は政府軍ですからそれなりの武器を使って戦うはずです。最初から勝敗が決まっているように感じるのですが、なぜか勝つのは農民側なんですよね・・・。外国勢力の軍事支援が農民側にあったなどという話は調べていても出てきませんでした。なので農民側が勝利してしまう理由がわかりません。政府軍から大量に武器を奪う機会が武装勢力側にあったんでしょうかね。それとも兵員の数に大きな差があったのでしょうか。

この武装蜂起の発生理由について、怒るのは当然のような気がします。ただでさえ生活が苦しい中、役人の都合で訳の分からない税をいきなり役所から要求されれば反発もしますよね。一般の人たちが危険性を伴うのにもかかわらずこのような武装蜂起をするということは相当無理な税負担が背景にあったということなのではないでしょうか。

武装蜂起が政府に鎮圧されてしまったら農民の人たちを待ち受けているのは政府による厳しい処罰です。処刑されるかもしれません。当時一般人として朝鮮国内で生きていくことは本当に過酷だったんでしょうね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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