劉邦さんと項羽さん、お二人はどの様な関係だったのでしょう

劉邦さんと項羽さんの関係

古代の中国大陸で起きた出来事、あるいは秦王朝が混乱し漢王朝が誕生する以前に大陸で繰り広げられた争い、特に劉邦さんが世に出ていくお話について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では中国大陸の広大な地域の覇権を争った二つの勢力の主(あるじ)と言いますか、大将というのでしょうか頂点にいた人物である劉邦さんと項羽さんの関係について私なりに書いてみたいと思います。劉邦さんと項羽さんの接点は秦(しん)帝国の皇帝、始皇帝が死去した後の混乱した情勢となってようやく出てくることになります。その混乱の時期に至るまでは劉邦さんの場合、一旦郷里の沛県(はいけん 現在の中国江蘇こうそ省の北部)という場所で宿駅(しゅくえき)という宿泊や人馬を中継ぎする設備がある施設のお役人、警察業務のようなことをおこなう亭長(ていちょう)を担当していたようなこともありました。江蘇省は中国大陸の大きな半島、山東半島の少し南側に位置する省です。しかし国(秦のこと)からの命令で駆り出された人夫(にんぷ)を引率して決められた場所に出向くよう言われたにもかかわらず、移動途中に人夫たちが過酷な労働を恐れて逃げ出してしまい国の命令を実行することが出来ず厳しい罰が科されることが明白であるため、劉邦さん自身も役目を投げ出して身を隠していたようです。一方の項羽さんは呉という地域(現在の中国江蘇省の南部)で叔父さんの項梁(こうりょう)という人のもとで生活していました。項羽さん自身は秦の国が乱れる以前は特にお役人のようなことはしていなかったようです。最終的には敵同士となって争ったことで大変有名な劉邦さんと項羽さん。それ以前はどの様な関係だったのでしょう。どちらのかたも国(秦)に対し刃向かう勢力となっていくわけですが、秦を倒す以前は連合した反乱勢力として協力する関係だったようです。またその勢力の中で項羽さんは劉邦さんよりも格上の立場でした。秦が倒れた後、劉邦さんが治める地域を項羽さんが決めて、劉邦さんはそれに従うような関係でしたので立場に大きな差がありました。しかし秦が滅亡した後のある出来事を境に、この二人は敵対することとなり相争う関係となっていきます。

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反乱勢力として連合

国の命令をやむを得ない状況のために守ることが出来ず、これでは国から厳しい罰を科されて殺されてしまうということで、逃げて身を隠していた劉邦さん。秦の始皇帝が死去したあとに国内で大規模な反乱、陳勝・呉広(ちんしょう・ごこう)の乱が発生しました。始皇帝死去の翌年に発生したそうです。この出来事により、国内で反乱の動きがたくさん出ることとなりました。一時は身を隠していた劉邦さんは郷里、沛県の長官が劉邦さんの力を利用して反乱側につこうとしたことを契機に再び表舞台に立つこととなりました。長官はその後心変わりして劉邦さんを亡きものにしようとしたのですが、長官が反対に命を落とし、地元で人望のあった劉邦さんが地域を治める立場におさまってしまいます。秦の監視の目から逃げ回っていた頃に比べれば大変な出世と言えます。沛県の指導者となった劉邦さんは反乱勢力の立場に立って秦の軍勢と戦いました。一方の項羽さんも叔父さんの項梁さんと共に反乱の機運に乗じて挙兵することとなります。戦い方が優れていたということなのか、項梁さんの勢力は秦の軍勢をどんどん打ち破り、とても勢いに乗っていたそうです。国内でも大変有名となったそうで、劉邦さんの勢力はこの項梁さんをトップとする勢力と連合して秦と対峙することにしました。この勢力の中で項羽さんは項梁さんと大変近い関係なわけですし、勢力の中で重要な人物ということになります。また項梁さんや項羽さんの家系は秦に倒された国、楚の貴族階級の方々でした。もともとは平民の立場だった劉邦さんと比べると当時の世の中の価値観では項羽さんはかなり箔のついていた人物、権威がある人物ということになるのでしょう。項羽さんや劉邦さんの反乱連合勢力は協力して秦と戦い、とうとう秦の皇帝を降伏させることに成功します。この過程で項梁さんは秦との戦いで命を落としており、項羽さんはそれに代わって軍を動かす指揮官となり秦の軍勢を打ち負かしていきました。その後秦は倒れ、かつて秦に倒された楚の国が復興し広大な地域を治めるかのように思われました。反乱連合勢力の目的は達成されます。かつての楚の王様のお孫さんが健在でおられたため、項梁さん、項羽さんらの勢力は秦に対し反乱をおこなっていた時期からその王族関係者の方を楚の王様として担いでいました。劉邦さんも反乱連合勢力の一角でしたので、担がれた楚の王様のもとで秦と戦うという立場でした。

敵同士

秦の皇帝を降伏させるにあたって大変大きな貢献をした劉邦さんに対し、その活躍を警戒する項羽さんは宴席で劉邦さんの命を奪うようなことも企てたりはしましたが、劉邦さんの配下の方々の機転で何とか危機を切り抜けることが出来ました。劉邦さんを大変危ない目に遭わせた項羽さんではありますが、これを理由に劉邦さんが項羽さんに敵対したというわけではありません。その後、秦を倒すのに貢献した人々にご褒美として領地が分配されましたが、どのように分配するか大きな発言力を持っていた項羽さんは劉邦さんに働きに見合わない、それほど良くもない領地、漢中などを与える判断をします。しかし劉邦さんはこれに反抗するということもなく、命に従い、治めるよう指示された地域に移っていきました。このまま事態が推移したら劉邦さんと項羽さんは争う関係にならなかったかもしれないのですが、現実はそうはなりません。楚の再興を大義名分として反乱を起こし、秦を打倒したはずの項羽さんが、担いでいた楚の王様、義帝ぎてい(懐王かいおう)の命を奪ってしまうという大変乱暴な振舞いに出てしまいました。そして項羽さん自身は西楚の覇王と自らを名乗り、反発する動きを武力で抑えていきます。劉邦さんは楚の王様の臣下として指示に従い、与えられた領地を治める立場でしたので、項羽さんがおこなった義帝陛下殺害は劉邦さんにとって仕える主君が項羽さんによって殺されたということを意味します。この義帝殺害という出来事を境に劉邦さんと項羽さんははっきりと敵同士の関係となりました。戦争のやり方が上手い項羽さんは劉邦さんを相手とする戦いでたびたび勝利することとなりますが、劉邦さんは厳しい戦況を何とか逃げ延び、味方を増やして項羽さんを孤立させることに成功。最初は圧倒的に優勢だったはずの項羽さんをついに倒すことも出来ました。項羽さんを倒した時点で大きな影響力を持っていた劉邦さんに匹敵するような人物はもう国内に存在しておらず、劉邦さんが新たな王朝、「漢(かん)」を打ち立て、その初代皇帝となるのでした。この「漢」は世界史的には前漢(ぜんかん)と区分けされる王朝で、劉邦さんによる建国から200年余り続くこととなります。いったん新という国が出来ますがすぐに倒れ、それから漢の王族がまた国を復興し、あとのほうの漢という意味の、後漢が誕生します。

今回は劉邦さんと項羽さんの関係について一部取り上げました。秦が中国大陸の広大な地域を統一することに成功してからそれほど期間を経ずに亡ぶことになるわけですが、次の王朝、漢についての話題を取り上げる前に、混乱した状況の中で劉邦さんが台頭していく過程について触れた記事を書いてみたく今回のようなテーマの記事にしてみました。劉邦さんと項羽さんが主な登場人物として描かれている小説や漫画も多いようですが、私はこれまで読んだことはなく、お二人については名前を聞いたことがあるということと劉邦さんが最後に勝利するということくらいでした。今回の記事を作るにあたって劉邦さんのことを調べたわけですが、軍人出身のかたというわけでもなく地方で生活する農民世帯で生まれ育った、周囲の人から不思議と慕われる遊び人だったということを初めて知りました。劉邦さん個人の能力が極めて優れていて降りかかってくる困難も独力で解決するというわけではなく、劉邦さんを慕う、様々な人物が劉邦さんを手助けして、その結果難局を乗り越えるということだったようで、本当に運の良い人だなという感想を持ちました。項羽さんは戦で勝利することに大変才能を発揮した方だったようですが、命を奪う必要が必ずしもない場面であっても敵方の将兵を大勢殺戮したり、覇権を手に入れるためには仕える主君の命すら奪うなど、やることがむごく、人心が離れていくことも多い人だったということも知りました。歴史書の内容に偏りがあるから項羽さんがそのような人物像になってしまっているということがあるのかもしれませんが、描かれている内容を見れば劉邦さんと項羽さんのどちらに仕えたいかと尋ねられれば、大抵の人は劉邦さんと答えるのではないでしょうか。もし項羽さんに仕えたのなら何か早死にしてしまいそうな、そんな気になってしまいます。そもそも秦が多くの人々に強制労働のような厳しい負担を課したり、規則を守れなければ処刑というような乱暴な真似をしなければ劉邦さんも項羽さんも普通の一般人として一生を終えていたのかもしれません。秦の法律があまりにも過酷だったことで陳勝さんや呉広さんは有名な反乱を起こしましたし、今回取り上げた劉邦さんも秦の厳しい規則に追いつめられてやむを得ず、逃亡し身を隠すこととなり、結果的に秦に対し反旗を翻すこととなりました。国が厳しい仕組みを作ることで一時的に成果を出せたとしても、一般の人々の反感が増大して大きなしっぺ返しを体制側が食らってしまうという結果になるのがオチのようですから国を治める人は秦の末路を教訓とするべきなんじゃないのかなと感じました。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

劉邦さんたちが倒した秦という国の最初の皇帝の政治について触れている話「秦の君主である始皇帝はどの様な政策を実行したのでしょう」はこちらです。

秦よりもっと前の古代の王朝が滅んだ時の話「殷王朝が滅亡した理由は何だったと言われているのでしょう」はこちらです。

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