大宝律令たいほうりつりょうとは簡単に言うと何なのでしょう
大宝律令とは簡単に言うと
今回の記事では大宝律令(たいほうりつりょう)について私なりに簡単に説明させていただこうと思います。大宝律令は社会や歴史の授業の中でも取りあげられることになる言葉ですが、なぜ重要事項として授業で取りあげられるのかとなると授業を受けていた当時私はピンとこなかったような気もします(他のかたはどうだったのかよくわかりませんが)。しかし世の中を動かすための規則がしっかりと出来ている国とあいまいな国の場合、どちらが国力の面で優位に立つことになるかということを考えるとこの大宝律令というのはやはり大事だなと感じるんじゃないかな、などと記事を作るために調べてみた結果個人的には思うようになりました。ちょっと話がそれました。大宝律令とは簡単に言うと何なのかですが、本当に簡単に言いますと時の政権が作成した法律集ということになります。大宝律令が作られた前後で政権が全然法律を作っていなかったかというと、そんなことは無いのですが、本格的に当時の水準で必要な分野と考えられる範囲を網羅した日本で初めての法律集と見られているため、凄いこととしてよく取り上げられているようです。簡単に説明するためいつ作られたとか、誰が作った指示したといった話は敢えてここでは触れませんでしたが以下の項目で補足してみたいと思います。
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いつ作られたのでしょう
この大宝律令が完成したのは大宝(たいほう)元年、西暦701年だったと言われています。大宝律令という名称になったのは完成した時の元号が大宝(たいほう)だったからなんですね。西暦697年頃から編纂(へんさん)が始まったと言われているそうなので完成まで四年ほどかかったということになります。「慣れい!(なれい 701年)大宝律令に」という語呂合わせは私が中学生だった頃にもあったような気がします。
編纂した人
この大宝律令の作成にかかわった人としてよく挙げられるのは皇族の刑部親王(おさかべしんのう)というかたや皇族ではないですが当時の高級な官僚、お役人だった藤原不比等(ふじわらのふひと)というかたです。刑部親王は皇族間の争いである壬申の乱(じんしんのらん)などで有名な人物、天武天皇(てんむてんのう)のお子さんです。藤原不比等さんは有名な出来事、「大化の改新 たいかのかいしん」に出てくる人物である中臣鎌足(なかとみのかまたり)さんのお子さんで、平城京に都を移す時もおおいに関与したと言われています。
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指示した人
この大宝律令を作成するよう命じたのは文武(もんむ)天皇や持統(じとう)上皇だと言われています。大宝律令の作成が始まったのは西暦697年頃と先ほど述べましたがこの時期は文武天皇が天皇に即位した時期でもありました。持統上皇は文武天皇の前の代の天皇です。
律と令
大宝律令の「律令」という部分ですが、律(りつ)というのはこういう悪いことをするとこんな罪に定めてこんな罰を科すことにしますといった規則、刑法(けいほう)のようなものです。様々な罰が大宝律令の律の中で定められています。島流しとか鞭(むち)で打たれるとか、棒で打たれるとか、牢獄に入れられるとか、死刑にするなど大まかに分けられるようですが大抵の罰についてさらに程度が細かく設定されているようです。令(りょう)については政治をおこなう中央組織の仕組みを定めたり、地方の行政区分を決めたり、政治上の手続きや税の仕組みを定めるような、政治をおこなうにあたっての広範囲にわたる規則集といった意味を持つ言葉とされているようです。人々が負担しなければならなかった税負担として租・庸・調(そ よう ちょう)といったものがあったことは有名ですが、大宝律令でもそういった税負担は細かく定められることになりました。
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今回は大宝律令について一部取りあげました。有名な出来事ではあるものの、どうしてそんなに取りあげるの?という印象があり、どうして重要だと見られているかという点を自分なりに確認してみたかったのですが、一般的には大宝律令の簡単な説明に関する要望が多いようなのでこのようなテーマの記事を作ってみた次第です。当時の世の中で先進国と見られていた中国大陸の大国・唐(とう)が律令という規則を充実させ、政治権限が中央政府に集まっている体制を整えた国になっているという情報が唐に派遣した使節から日本にもたらされたというのが律令を整えようと日本の権力者が考えるようになったきっかけのようです。法律という国の仕組みはその国が力を持つうえでどれくらい影響するものなのかすぐに結びつかないような感じもしますが、法律が国を成り立たせるための基本中の基本だと考えると、どれくらい大切かということが何となくわかるような気もします。規則があやふやで混乱している組織と規則に基づいてしっかりと制御された組織ではやっぱり制御された組織のほうが強そうだし、いい仕事をしそうな感じがしますよね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
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