済南事件(さいなんじけん)とは?この事件の原因についても

済南事件(さいなんじけん)とは

 

済南事件(さいなんじけん)とは西暦1928年(昭和3年)に中国大陸の山東省(さんとうしょう)の中心都市、済南(さいなん)において、山東省に派兵されていた日本軍と中国大陸の南部から支配地域を拡大してきた勢力、「国民政府 こくみんせいふ」の軍隊、国民革命軍が武力衝突した出来事です。この武力衝突は1928年の5月3日に発生し11日まで続きました。その過程で日本軍は国民革命軍が拠点としていた済南城から革命軍を追い出し、済南を占領しました。国民革命軍はこの出来事によって日本軍とのそれ以上の戦闘を見送り、山東省から撤退して中国大陸の北部を支配している張作霖などの武装勢力を討伐するという本来の目的を果たすためにさらに北上していきました。

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この日本軍と国民革命軍の間での武力衝突によって日本軍の死者は26名、負傷者157名、現地で生活していた日本人で亡くなったかたは12名、負傷した結果亡くなったかたが2名おられたそうです。国民革命軍や現地の中国の人たちの死亡者数については諸説あるようですが、3000名から6000名といわれており、負傷者数は1400名から2400名だったといわれています。比較すると中国側の犠牲者数、被害者数のほうが多かったということになります。日本軍は済南城の占領を1929年まで継続しました。その後国民政府側との交渉が成立したことを理由に山東省地域から撤退しています。

 

済南事件の原因

 

山東省の中心都市、済南はそれまで北部の武装勢力が支配していましたが中国大陸南部から北上してきた国民革命軍との戦いに敗れ、北部の武装勢力は済南から撤退していきました。その後国民革命軍が済南に入り、済南城にも入場することとなります。日本軍が駐留していたのは日本人の保護が目的だったため、国民革命軍の済南入りを阻止するようなことはしませんでした。国民革命軍の指揮官、蒋介石から日本軍側に治安維持は国民革命軍側が責任を持つので日本軍は撤収するよう求めたそうです。日本軍側もそれに応じました。

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日本軍が一旦守備していた区域から撤収した5月3日に日本側は国民革命軍の兵員による暴行、略奪などの犯罪行為が発生しその兵員たちと日本軍の間で撃ちあいとなって武力衝突が始まったと主張し、国民革命軍側は病気となった革命軍の兵員を医療機関に連れて行こうとしたところ日本軍に阻止され言い争いとなり日本軍が革命軍兵員や病人搬送を手伝っていた中国人を射殺したことで武力衝突が始まったと主張したようです。双方で言い分が異なるんですよね。また指揮官の蒋介石はこの事件が日本軍によって国民革命軍の北伐を妨害するために行われたと主張したそうです。北伐(ほくばつ)というのは国民革命軍が中国大陸の北部を支配している武装勢力を討伐し国を統一することを目標とした軍事行動のことです。5月3日以降に現地で生活していた10人以上の日本人が殺害されており、他にも略奪、暴行などの被害に遭う日本人が続出しました。国民革命軍の兵員による凶行と判断した日本軍は12時間の期限を設けて日本人を殺害した革命軍兵士の処罰や済南からの革命軍の撤退、日本軍と実際に戦った革命軍部隊の武装解除などを国民革命軍に要求しました。しかし日本側の要求に革命軍側は応じず期限の12時間が過ぎて日本軍は革命軍の拠点となっていた済南城を攻撃し革命軍を済南から追い出す作戦に出ました。結果革命軍は済南から撤退し山東省を出て北伐計画を継続するため中国大陸北部へ進軍していきました。

 

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今回は済南事件について一部取りあげてみました。この事件を取りあげたのは、山東出兵が国際問題とならないようそれまで各国の意向を確認するなど慎重な態度だった日本がどうして中国の武装勢力と派手に戦闘する選択をしたのか理由を知りたかったからです。日本側の言い分と国民革命軍側の言い分に違いがありますから真実が見えにくい気もしますけれど、日本や国民革命軍側とは異なる立場であるアメリカやイギリス、フランスの当時の新聞では革命軍兵員の暴行などを問題視して日本軍が地域の安定に貢献しているという見方を示していたようですから革命軍側の主張をあまり真に受けないほうがいいのかなという気もしました。現地の日本人が10人以上もひどい殺され方で命を落としたということになれば治安維持の上でも革命軍は済南から出ていってくれと日本軍側が要求するのも当然な気がします。実は山東省内の他の都市でアメリカやドイツの人たちが革命軍の兵員によって暴行されたり、殺害されるといった被害が出ていたそうです。こういった出来事もあって欧米各国の当時の新聞は日本の行動に理解を示したのかもしれません。このような出来事を知るにつれ、警察や軍隊といった治安を維持するための存在というのは本当に必要なのだなと改めて感じさせられます。他人の良識を信頼していざという時の備えを怠ると、とんでもない被害に遭う危険性があるのですから「非武装中立」といった政策を掲げる政党が日本国内にあったとしても、到底支持する気にはなれないですね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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