下関条約とは?賠償金を含めた条約の主な内容について
下関条約とは
下関条約(しものせきじょうやく)は西暦1895年(明治28年)に日本と清国との間で締結された日清戦争の講和条約です。正式には「日清講和条約」と呼ぶそうです。下関条約と呼ばれているのは日本の山口県下関で講和条約のための会議が開かれ、調印したことが理由となります。
講和会議で日本側の全権は伊藤博文さん、清国側の全権は李鴻章(りこうしょう)さんでした。当時伊藤博文さんは内閣総理大臣でした。李鴻章さんはその時点まで地方長官や清国政府の大臣を担当するといった経歴がありました。
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条約の主な内容は
この下関で調印された条約の主な内容ですが、朝鮮国が完全な独立国であることを清国が認めるということ、清国は遼東(りょうとう)半島、台湾、澎湖(ほうこ)諸島を日本に譲り渡すこと、沙市(さし)、重慶(じゅうけい)、蘇州(そしゅう)、杭州(こうしゅう)といった都市を開港すること、清国は日本に対し賠償金として2億両を支払うことなどが条約で決められています。
清国が朝鮮国は独立国であると認めたことで、朝鮮国は清国の従属国であるという立場を脱したことになります。
遼東半島は清国と朝鮮国の国境の近くにある半島で半島の先端には戦略上重要な拠点、旅順(りょじゅん)があります。澎湖諸島は台湾と中国大陸の間、台湾海峡に存在する島々です。
沙市は中国大陸の内部の地域、湖北(こほく)省の中に存在します。海に面した都市ではありませんが、中国の大きな川である長江の沿岸にあり、港湾都市として有名な場所です。
重慶も中国大陸の内部にある都市で、この都市も長江の沿岸に存在する港湾都市として有名です。
蘇州は上海に近い地域です。ここも長江沿岸ということで港が存在します。杭州も上海に近い都市です。古くから運河が存在し銭塘江(せんとうこう)という長江と結ばれている河もあり水路が発達している場所です。
賠償金の2億両ですが「両」は清国の貨幣単位です。英語表記の影響で「テール」と呼ばれることもあります。
条約にある他の内容としては遼東半島や台湾、澎湖諸島に条約の効力が発生してから2年以降も住んでいる人は日本人とするとか、清国領土にいる日本軍は条約が結ばれてから3か月以内に撤収するとか、山東半島の先端にある威海衛(いかいえい)という地域を日本側が一時的に占領することを認めるとか、日本人の捕虜を虐待したり処刑しない、日本側に協力した清国人を処刑しないなどといった内容も含まれていたようです。
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賠償金の使い道
賠償金の額は莫大なものでしたが、この半分以上は日本軍の軍備を整えるために使われ、2割ほどが日清戦争で日本が使った戦費の補てんに充てられたそうです。大半は日清戦争の費用や軍の整備に使われたということになります。
割合としては多くはありませんがこの賠償金から八幡製鉄所を造るためのお金が出たことは有名です。
清国にとってこの賠償金は非常に国力を弱めることにつながったそうです。
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今回は下関条約について取りあげてみました。日清戦争を終わらせる条約としてやはり大変重要な項目だと思います。
この条約により朝鮮国は清国の従属国ではなくなり、完全な独立国という立場となりました。しかし完全な独立国というもののその後日露戦争を経て日本の保護国となっていきます。どういう経緯でそのような状態になっていくのか今後取りあげてみたいと思っています。
賠償金というのはこれまで歴史の記事を作っていてたびたび目にしますが巨額ですよねー。自分の国の意思に関わらず、戦争に巻き込まれてしまうという状況も当然あるでしょうが、こういう額(今回の額は2億両)を目にすると戦争は本当にやる物じゃないなと思ってしまいます。負けた時は本当に大変です。
日本の領土となる遼東半島ですがこれが後で恐い事態につながるきっかけになります。戦争で勝つことは必ずしもいいことばかりではありませんね。欧米列強の一国、ロシアににらまれることになるわけですから。戦争が新たな対立を引き寄せるということがあるんですね。
甲午農民戦争の発生から日清間の対立、日清戦争の勃発、終戦まで取りあげてきました。一つの国である朝鮮国を清国の属国ではなく独立した国になるよう促すということは何も悪いことではないと思いますが、朝鮮国の王宮を攻撃して従来の朝鮮政権を転覆させて自国に都合の良い体制に作り替えるような日本の振る舞いを知ると、後味が悪いというか複雑な気持ちというか、もっとましなやり方がなかったのかなと思わざるを得ませんでした。
幕末に日本が侵略されないよう頑張った人たち(幕府側も攘夷側も含めて)はここら辺の日本の行動についてどのように見るでしょうね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
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