日独防共協定とは?協定を結んだ目的や協定内容についても

日独防共協定とは

 

日独防共協定(にちどくぼうきょうきょうてい)とは西暦1936年(昭和11年)の11月に日本とドイツの間で結ばれた協定です。ドイツの首都ベルリンで調印されました。正式名称は「共産『インターナショナル』に対する協定」であり、「日独防共協定」は通称です。日本側の全権はドイツ駐在の日本大使だった武者小路公共(むしゃのこうじきんとも)さんでドイツ側の全権はリッペンドロップという人物でした。この協定は後にイタリアやハンガリー、スペイン、満州国なども参加することとなります。

 

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協定の内容は

 

日独防共協定の内容ですが前置きとしていわゆるコミンテルンの目的が既に存在している日本やドイツなどのような国家を破壊することにあり、このような活動を放置することはそれぞれの国内社会の安定や社会福祉を危険にさらすこととなり世界平和をも脅かすこととなる、といった内容の日独両国の共通認識を掲げています。共産主義による破壊活動から国を防衛するため協力したいという理由でコミンテルンの活動に関して情報交換し防衛のために必要な対応を協議し協力することやコミンテルンの破壊活動で国内の安全が脅かされている他国についてもコミンテルンから国を守るための協力をおこない、今回締結された協定に参加しませんかと勧誘することや、この協定の有効期間をひとまず5年間とすることなどを約束しています。また付属の議定書ではこの協定を結んだそれぞれの国の警察関係職員はコミンテルンに関する情報交換やコミンテルンが危険な組織であることを広報する活動やコミンテルンの破壊活動から社会を守るための対応に関して協力すること、国外でコミンテルンに参加した者やコミンテルンの破壊活動に協力した者に対して法の範囲内で厳しく対応すること、今回の協定を結んだ国の警察関係職員が協力しやすくなるように常設委員会を作ることも約束されています。更にこの時に秘密の協定が結ばれ、今回の協定を結んだ国の一方がソビエト連邦から攻撃されたり攻撃の脅威にさらされた場合は、協定を結んだ他の国はソビエト連邦に対し支援しないこと、ソビエト連邦から攻撃を受けた場合は協定締結国間で相談すること、今回の協定を結んだ国はソビエト連邦に対し今回の協定の目的に反するような条約を結ばないこと、この秘密協定を5年間有効とすること、といった内容も約束されることとなりました。この秘密協定部分についてはもちろん協定締結当時、公開されることはありませんでした。秘密なので。

 

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協定を結んだ目的

 

このような協定を結んだ目的としては協定の内容にも示されている通り、コミンテルンの破壊活動が協定締結国にとって大変危険であるためそのような脅威から締結国の国内社会を守るという目的があります。コミンテルンは共産主義インターナショナルの通称で世界中の国の共産党や共産主義勢力によって構成されていた国際組織の事です。1935年に開かれたコミンテルンの国際大会(第7回コミンテルン世界大会)では共産主義革命を成功させるべき目標国として具体的に日本、ドイツ、ポーランドの三カ国の名前が挙げられました。また日本陸軍内で日本が国際社会で孤立した状態であるよりも国際連盟を脱退したドイツ(1933年に国際連盟脱退)との関係を強めるべきだという意見があったことや後にこの協定を軍事同盟にまで発展させて東アジア大陸での日本と中華民国の戦争にイギリスやソ連が介入しないようにさせたいと考えるようになったという指摘もあります。また日本陸軍の一部軍人はソ連がドイツとの関係を改善させヨーロッパ地域での戦闘を心配することなく極東地域にソビエト連邦の軍事力を集中的に動員してくるような状況を懸念しました。そうならないよう日本がドイツとの関係を強めるべきだと主張したようです。ドイツ側でこの協定を締結したがっていた人たちはコミンテルンの脅威に対応するという理由の他にこの協定によって英国をけん制したがっていたという指摘もあるようです。

 

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今回は日独防共協定について取りあげてみました。後に重大な出来事である日独伊三国軍事同盟のような枠組みが出来るわけですが、この日独防共協定というのはその兆しのような動きなのかなと思い調べてみることとしました。協定の名前にもある通り共産主義勢力に対抗するというのが主な目的の条約ではありますが、秘密協定の箇所には軍事的な内容もいくらか入れているようです。実際にコミンテルンで日本の名前を挙げてこの国を共産主義の国にするという目標が決議されたのですから日本側としては出来る限りのことをおこなって共産主義勢力やソビエト連邦の謀略を防がなければならないと考えるのは当然と言えば当然で、同様に共産主義勢力の攻勢にさらされている他の国と防共協定を結ぶのは自然なことのようにも思います。ただこの協定をドイツと結んだことにより、かつて長年同盟関係にあった英国の一般的な反応は日本にとって批判的なものとなったようです。日本はイギリスに対しても協定の中にあるような協定参加の為の勧誘をしたそうですがイギリスは拒否しました。日本と同じ立憲君主制の国家であるイギリスは共産主義の台頭を警戒してもおかしくはないと思いますけれども。イギリスはこの防共協定を当初から軍事的な枠組みであると見なしていたんでしょうかね。日本がドイツ寄りにならないようイギリスが防共協定に参加し日独の間にくさびを打つという考えもあるような気がしますが。この協定が成立することで日英間に更に距離が出来てしまったようです。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

国内外の共産党勢力について触れている話「日本共産党の結成とは?コミンテルンや堺利彦さんについても」はこちらです。

共産勢力警戒のための協力だった関係が軍事同盟に変化した話「日独伊三国同盟とは?締結の理由やアメリカの反応についても」はこちらです。

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