日本共産党の結成とは?コミンテルンや堺利彦さんについても

日本共産党の結成

 

日本で初めて共産党という名称の政党が結成されたのは西暦1922年(大正11年)です。ただこの時の日本共産党は合法的な政党、法律で認められている政党ではありませんでした。アメリカで生活し社会主義を信奉していた近藤栄蔵という人物が共産党結成を目的として1919年に日本に戻り、日本国内の社会主義を支持する人たちと接触します。翌年1920年にはこのような日本国内にいる社会主義支持者の人たちにコミンテルンの関係者が働きかけをおこないました。日本の社会主義者たちとコミンテルン側の意向はいつも一致していたということではなかったようですが、コミンテルン側は日本の社会主義支持者や無政府主義支持者に資金を与え機関誌発行や組織の立ち上げを支援したようです。1921年に東京で日本共産党準備委員会が立ち上げられました。同じ年コミンテルン側からの要望もあって日本国内の共産党設立協力者の何人かがコミンテルン国際会議に出席しています。会議に出席した日本側の関係者はコミンテルン側から日本国内での活動についての指示を受けて日本共産党設立を進めていきました。1922年にコミンテルン会議に参加した高瀬清らが会合を行い日本共産党が結成されます。この時、日本共産党の委員長には堺利彦という人が就任しました。コミンテルン側も結成された日本共産党を承認します。しかしこの時立ち上げられた日本共産党は1923年に関係者の多数が逮捕され活動できなくなりました。その翌年1924年には逮捕を逃れた関係者たちが会合を開き、立ち上げた日本共産党を解散すると決定しています。最初に結成された日本共産党はこのように短い期間で解散する結果となりました。

 

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コミンテルンとは

 

上で書いたように日本共産党の結成や活動にコミンテルンという存在が関わっています。説明なくコミンテルンとだけ書いてここまで日本共産党結成について説明してきましたが、コミンテルンとは何なのでしょうか。コミンテルンというのは世界各地にあった共産党、共産主義を掲げる政党によって構成されているどこの国にも所属していない国際的な組織です。正式名称は「共産主義インターナショナル」です。英語でコミュニスト インターナショナル communist internationalと表現し コミンテルンというのはこの英語表現の一部を使った略称ということのようです。comとinternを合わせ読んでコミンテルンということですね。1919年に作られた組織です。コミンテルンの国際会議は社会主義革命が成功したロシアで開かれることがほとんどだったようです。コミンテルンは世界各地で活動している共産党、共産主義政党関係者によって世界中で自分たちの活動が成功するための方法を協議し、方針を定め、各国の関係者に指示を出すという役割を担っていました。社会主義革命推進のための中心部ということになるでしょうか。上記のように日本で共産党を結成した人たちもコミンテルンから支援を受けていたわけです。

 

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堺利彦さんについて

 

上でも名前を出しましたが堺利彦(さかいとしひこ)さんという人が、結成された日本共産党の委員長となりました。この人は元々新聞記者をやっていた人だそうで歴史の教科書でも名前の出てくる新聞、萬朝報(よろずちょうほう)でも活動した経歴があります。そのような中で有名な社会主義支持者、幸徳秋水とも関わり社会主義思想に傾倒していきました。1906年の日本社会党結成にも参加しますが、後に社会党関係者が一斉に逮捕される事件で堺さんも逮捕されています。刑務所での刑期を終えた後も雑誌で言論活動を続け上記のように共産党結成にも参加しました。しかし1923年にまた逮捕されます。この時の刑期内で心境が変化したのか出所した時期には一度解散されていた日本共産党が再結成されていたものの、そこに参加することはなく、合法的な社会主義政党、無産政党に参加し活動していくようになりました。1929年には東京市会議員にもなっています。欧米の社会主義に関する書物や欧米の文学を多数翻訳した人としても有名だそうです。1933年に62歳で亡くなりました。

 

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今回は日本共産党について取りあげてみました。1922年に結成された日本共産党はすぐ逮捕などによって活動が困難となり解散することとなるため、第一次共産党といった呼び方で区別することもあるようです。この後拡大することになる勢力ですし、現在の世の中であっても一部では危険視されている政治勢力の国内最初の結成ですから重要な出来事だろうと思い調べてみることにしました。日本国内の支持者だけで活動しようとすると資金が無くて機関誌発行や宣伝の拡散が上手く出来ないということもあるのかもしれませんが社会主義革命を成功させた国が存在しなおかつコミンテルンのような国際的な共産主義拡大を目的とした組織があると、そういったところから支援を受けることが出来て活動も上手くいきやすくなるんでしょうね。これは当時の日本政府、治安当局から見れば本当に恐ろしい動きだったでしょう。たくさんの日本国民が社会主義を支持しこの共産党の活動に参加してしまっては内戦になってしまうかもしれませんし、日本存立の要である日本皇室も危うくなってしまいますから。すぐさま治安当局が共産党関係者を逮捕するのは体制側からすれば当然の動きなのでしょうね。当時は社会主義を掲げて政治をすることで、とんでもない災難が発生する国がまだ世の中に無かった時代ですから社会主義にとてつもない希望を見出す人たちもたくさんいたのでしょう。「そんな考え方を支持するのはやめておいたほうがいいって!」と体制側が言ってもあまり説得力は無かったのかもしれませんね。目新しい政治思想というのは長い時間をかけないと真偽のほどが見えてこないところがありますから、その間に多くの人が巻き込まれてしまうことになりますし、注意が必要なのでしょう。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

共産勢力に関連した記事「ロシアで力を得たボリシェヴィキとは?レーニンについても」はこちらです。

日本国による共産勢力拡大の防止に関連した記事「日独防共協定とは?協定を結んだ目的や協定内容についても」はこちらです。

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