王政復古の大号令とは?出された年号や出した人についても

王政復古の大号令が出された年号は

 

王政復古の大号令(おうせいふっこのだいごうれい)は西暦では1868年の1月(日本の当時の暦ではまだ慶応3年の12月でした)に出されています。

 

王政復古の大号令とは

 

1868年に朝廷から出された宣言です。この宣言の中では従来権限を持っていた幕府や幕府に関連する組織、長い間続いてきた朝廷内の役職などを廃止して朝廷を中心とした新しい仕組みを作り朝廷が中心となって政治をおこなっていくことが述べられています。

またこの宣言が出される前にこの動きに協力する藩が京都御所を固め、朝廷内のこの動きに反対する勢力が御所に入れないようにしています。

 

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王政復古の大号令を発した人

 

復古大号令の内容を見ても明治天皇の署名付きの文書というわけではないようですが、「明治天皇はこのようにお考えである。」と天皇の考えを伝える形式で出されている内容です。ですから形式上は明治天皇の意思によって発せられたということになるかと思います。

ただそれはあくまでも形式上であり、実際にこの号令を出したのは幕府側に実権を握らせたくないと考えている勢力でした。

その勢力の中心となっていたのは当時明らかに倒幕派であった岩倉具視(ともみ)さんという方だと思われます。大号令が出される前日に岩倉さんの自宅に協力する藩の重要人物を集め大号令を出すことを伝えたのだそうです。

ということで、大号令は形式上ですと明治天皇のお考えで出されたものということになりますが、実際は岩倉具視さんらを中心とした幕府から実権を奪うことを望んでいた朝廷の一部勢力や薩摩藩などの倒幕を望む有力な藩が出したものであると思われます。

 

大号令で廃止とされたのは

 

王政復古の大号令で廃止となったのは江戸幕府、京都守護職、京都所司代といった幕府や幕府の関連組織と摂政や関白を始めとした朝廷にこれまで存在していた天皇を補佐する役職です。京都守護職や京都所司代は朝廷が存在する京都の治安を守る機関です。

 

大号令で新たに設けられた役職は

 

廃止すると宣言された組織や役職もあれば、新たに設けられた役職もありました。新しく出来た役職は総裁(そうさい)、議定(ぎじょう)、参与(さんよ)です。

総裁はこの三つの役職の中で一番偉い役職のようで様々な政治案件の最終判断を行う立場のようです。議定は行政の監督、参与は事務を取り仕切る官職ということだそうです。

 

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新しい役職に就いたのはどのような人たちだったのでしょう

 

総裁になったのは有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)というかたです。皇族の方ですね。攘夷派として有名な方だったそうです。

議定となったのは皇族の方や倒幕派の公家の方たち、有力藩の藩主クラスの重要人物の方々でした。薩摩藩、尾張藩、芸州藩、越前藩、土佐藩の関係者が就いています。

参与となったのは倒幕派の公家の方たちや薩摩藩、土佐藩、芸州藩、越前藩、尾張藩の藩士クラスの方々が就きました。岩倉具視さんは参与に就任しています。

これらの役職は倒幕派の人たちや幕府が主導して政治を行うのをやめさせて、朝廷が中心となり有力な藩も参加して協議して政治を行っていくべきだと考えている諸藩の関係者によって大半が占められていました。

 

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今回は王政復古の大号令について調べてみました。この言葉を聞いてもよくわかりませんでしたが、結局朝廷が出した「新しい仕組みで政治を行います。」という宣言のようです。この宣言を出すにあたって朝廷内のこの動きに反対する勢力は京都御所に出入りが出来なくなっています。この動きに協力する藩の兵員たちが出入り口を警護し反対派の公家の人たちが御所に入るのを許さなかったからです。反対派の公家の人たちは独自の軍隊を持っているわけでもなかったのでこのような強引な動きに対しても従うしかなかったようです。反対意見を言おうにも朝廷から締め出されてしまっているため議論に参加できませんでした。

以前取りあげた歴史上の出来事で八月十八日の政変という事件がありましたが、あの時とやり方が似ているような気がします。あの時は攘夷派を朝廷から締め出すために幕府と朝廷が協力して政治課題に対応しようとした公武合体派の勢力が主導していました。ただ薩摩藩は八月十八日の政変と王政復古の大号令のどちらでも主導する側になっています。薩摩藩の影響力は相当大きかったということがこのような事実からも感じられました。今回のような出来事が起こってしまい幕府は朝廷から締め出されようとしていました。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

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