北京議定書とは?賠償金や北清事変でのロシアの動きも

北京議定書とは

 

北京議定書(ぺきんぎていしょ)は西暦1901年(明治34年)の9月に清国と日本、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、オーストリア、イタリアとの間で締結された条約です。この条約は1900年に発生した北清事変(ほくしんじへん)の最終解決を目的として結ばれることとなりました。

北清事変の時清国は日本や欧米諸国に対し宣戦布告し、清国の軍は義和団と共に上記八カ国の連合軍と短期間ではありますが戦う結果となりました。1900年の8月には清国の首都である北京が連合軍側によって占領され戦況は明らかでしたが、講和目的の条約である北京議定書の締結はそれからかなり期間が経過した時期となっています。1900年の10月から清国と各国との和睦の交渉は行われていたそうです。1901年の7月には連合軍が北京から撤退し始めていました。

 

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北京議定書で約束された賠償金

 

この講和の条約の中で清国は戦った相手、八カ国の連合国に対し合計4億5000万両の賠償金を支払うと約束させられています。「両」は清国の貨幣単位です。この単位、英語圏で「テール」とも呼ばれていました。

この賠償金は銀で支払われることとなります。清国がいくら巨大な国であっても当時の経済力ではこのような多額のお金を一括で連合国に支払うことは出来ませんでした。清国の税収は一年で9000万両弱だったという指摘があります。そのため約40年かけて分割して支払うこととなります。つらいことに無利子で分割払いするのではなく、きっちり利子もつけられました(年4%)。結局利子も含めた金額は8億両以上にもなったのだそうです。とんでもない額ですね。

この巨額のお金の支払いのため清国の民衆に課された税負担は増大します。清国は1912年に滅んでしまう結果となりましたがその時点でも支払いは終了していませんでした。あまりにも巨額な賠償金の要求だったことで後に批判の意見も強まったそうです。

 

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北清事変でのロシアの動き

 

清国と八カ国の連合軍が戦ったのが北清事変です。連合軍が中国大陸の海辺の都市、天津で清と戦い、天津を占領して北京に向かい、北京でも清の軍と戦って勝利し北京の占領に成功。北京の公使館に籠城していた人たちを救出したというのが中心的な軍事行動でした。連合軍はしばらくの間北京を占領する状態を続けて、上記の通り1901年の7月以降北京から撤退していきます。

ただロシア帝国は主戦場とは異なる地域であるロシアの国境付近の地域、現在の中国東北部、いわゆる満州地域に軍を進めるという行為に出ました。北清事変発生の原因を作った武装勢力、義和団がロシア領内に侵入し一部の街を占領するような事件が発生したのです。このことをきっかけにロシア軍が満州地域に入り込み、鉄道の保護などを理由にして満州全域を占領する結果となります。

北清事変が収まった後もロシア帝国は満州から自国の軍を撤退させようとしない状況が続きましたが、ようやく1902年に清国とロシアの間で満州を清に返還する条約が結ばれました。しかしこの条約が結ばれたにもかかわらず、ロシアが満州地域から軍を完全に撤退させることはなかったのです。

 

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今回は北京議定書と北清事変でのロシアの動きを取りあげました。北京議定書について賠償金に関する話の他、各国が公使館を守るためにそれぞれの国が軍隊を駐留させることの出来る権利を清国に認めさせています。確かに義和団事件のようなことがあれば、公使館の人たちをしっかりと保護するのには自国の軍が駐留していると心強いに決まっています。しかし本来は清国の治安組織や軍がしっかりと他国の公使館を警護すれば済む話ではあります。義和団の動きを放置しただけではなく、義和団と共同して清国は各国と戦ってしまったので清国の治安維持体制を他国は信用しなくなってしまったということですね。

公使館を守るという名目とは言え首都に何カ国もの軍隊が駐留するというのは、清国にとって屈辱だったことでしょう。義和団事件の混乱状態で各国に宣戦布告した「つけ」は非常に大きなものとなってしまいました。

今回取りあげていませんでしたが義和団事件、北清事変では武装勢力、義和団側にも、北京を占領した各国の連合軍側でも非常に残酷な行為があったそうです。暴動や戦争をきっかけに軍や武装勢力と関係のない人達が大変な思いをするということが今回の出来事でも明らかになりました。北清事変の際、日本軍が統治した地域では他国の軍に比べ統制がはるかに行き届き、犯罪行為も少なかったという指摘が一部にあり救われる思いがしましたが、戦利品獲得の話もありましたので複雑な気持ちです。

占領軍が占領地域で犯罪行為に走るのは珍しいことではないそうなのですが、そうであれば尚更戦争などしないに越したことは無いなと感じます。ただ、否応なく巻き込まれる場合もあるというのが本当にやっかいな点です。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載した写真に関係はございません。ご了承ください。

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