閔妃殺害事件の背景とロシアを頼った高宗の事件後の動き

閔妃殺害事件の背景

 

日清戦争で日本が勝利したことにより清国は朝鮮国の独立を認めました。それにより朝鮮国は清国の従属国という立場ではなくなります。この時朝鮮国の実権は当時の国王である高宗(こうそう)さんの父親、大院君(だいいんくん)さんが握り日本との関係を強くしていました。

しかし日清戦争の講和条約が締結されて間もなく、ロシア、ドイツ、フランスが武力を背景にして日本へ遼東半島返還を要求します。日本はロシアに屈し清国へ遼東半島を返還ました(三国干渉)。

軍事力を背景にロシアが日本に要求するのを見て、朝鮮国内でロシアとの関係を強めようという動きが出てきます。西暦1895年7月、日本との関係の強かった朝鮮国の政権が国王のお妃、閔妃(びんひ)さんの勢力によって乗っ取られてしまいます。この時閔妃さんたちはロシア軍の協力を得ていたそうです。

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武力によって入れ替わった朝鮮国の新しい政権は日本が指導していた朝鮮の軍隊、訓練隊制度をとりやめ、新しい軍組織をロシア関係者の指導の下で新たに作ろうと画策したそうです。このような状況の中で閔妃さんの殺害事件と日本との関係を維持しようとする勢力によるクーデターが発生しました。(1895年10月)

この事件を起こしたのは朝鮮の政権がロシアに接近していくことを阻止し、朝鮮政権での日本の影響力を維持したいと考えた勢力や当時の政権側が閔妃さんと対立している軍関係者を排除しようとしていることに反発している勢力でした。

 

この事件の諸説

 

教科書では当時の朝鮮国にあった日本公使館の公使、三浦梧楼(ごろう)という人が日本公使館を警護する役目で駐留している日本軍の兵員を動かし王宮を占拠して、閔妃さんを殺害したと書かれているようです。日本公使館が主導したということですね。

しかし政権を乗っ取られた大院君さんが訓練隊を指導していた日本人にはたらきかけをしたり、閔妃さんの政権によって解散させられてしまうことに強く反発した訓練隊の人たちが決起したという話もあるようです。

この出来事を調べていて、事件を主導したのが誰なのか断定しないほうが良いかと思いましたので、上記のような複数の説があるという提示にとどめておくこととします。ただ日本政府はその後公使の三浦さんを免官処分にしていますし、日本公使館側がこの事件に関与したということは間違いないのだろうなと個人的には思いました。

 

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事件後の高宗さん(国王)の動き

 

この事件の後、また不穏な出来事が発生します。ロシアと関係の近い朝鮮の政治家がロシア軍やアメリカ軍の協力のもと政権の乗っ取りを図ります。この企ては国王、高宗さんの身柄を確保できなかったことで失敗となりました。春生門事件(しゅんせいもんじけん)という出来事だそうです。1895年11月のことでした。

この政権乗っ取り事件も失敗し日本と関係の近い政権が安定したかというとそうではありませんでした。日本軍が国王である高宗さんを退位させようとしているという情報を理由に高宗さんはロシア公使館に逃げ込んでしまいます。

高宗さんはロシア公使館内にとどまり、そこから様々な指示を出すようになりました。ロシアとの関係が強い、新しい政権を作ることを決め、ロシアをはじめとした欧米諸国に朝鮮国の利権を差し出すこととなります。鉱山の採掘権や、鉄道を敷く権利、森林の伐採権など(すべての鉱山、森林ではありません。特定の鉱山、一部地域の森林ではあります)本来朝鮮国のものであるこれらの権利をロシア、アメリカ、フランスなどに与えました。

また清から独立したことを理由に1897年には朝鮮という国の名前を「大韓帝国」に変えています。君主の名前も「国王」から「皇帝」に変わることとなりました。「朝鮮」という名称は清の前の中国大陸の王朝「明」から与えられたものだったそうです。

 

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前回まで義和団事件や北清事変を取りあげていましたが、今回は日清戦争後の朝鮮国(大韓帝国)の状況を取りあげてみました。日露戦争に至るまでの朝鮮半島の様子がどのようなものであったかというのは日露戦争の発生を理解する上でもかなり重要なことなのだろうと思います。

日清戦争に勝利し、朝鮮半島での清の影響力を日本が排除したものの、朝鮮は日本の望まない方へ進んでいったようですね。清という「重し」が取れたことにより以前に比べてロシアがどんどん朝鮮国の政権に介入してくる様子が頻繁に出てきています。(朝鮮の政権乗っ取りに際してロシアの軍を動かすようなことやロシア側が動き回って朝鮮の民衆を扇動し暴動を起こして日本の作ったインフラを破壊するとか・・・。)また、国王も閔妃さんもロシアに対し非常に好意的だったという指摘もあるようです。高宗さんが逃げ込んだのがロシア公使館というのもその表れということでしょうか。日本は朝鮮王室から信用されていなかったんですね。閔妃さん殺害に日本公使館が関与したり、日清戦争前に日本軍が王宮を攻撃して政権を転覆させたこともありましたから、日本を怖がるのも当たり前なのかなという気もします。

日本が清や朝鮮国に積極的に介入することで結局ロシアと対立することになります。もし日本が朝鮮国にも清国にも積極的に介入しない方針をとっていたとしても清国はいずれ列強に付け込まれ現在の中国東北部(いわゆる満州地域)はロシアの勢力下となり、朝鮮半島にもロシアは入ってきたんでしょうかね。どちらにしてもロシアと日本は対立することになったんでしょうか。朝鮮国(大韓帝国)がロシアに傾斜していくことで日本は危機感を強めていくこととなります。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

大韓帝国関連記事「ハーグ密使事件とは?事件後締結した第三次日韓協約の内容についても」はこちらです。

朝鮮政変関連記事「朝鮮で発生した壬午軍乱とは?閔妃さん一派の立場についても」はこちらです。

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