墾田永年私財法とは簡単に言うとどういったものなのでしょう

墾田永年私財法とは簡単に言うと

 

社会や歴史の授業の最初の時期に学ぶことが多い項目の一つに墾田永年私財法があります。墾田永年私財法は「こんでんえいねんしざいのほう」、「こんでんえいねんしざいほう」と読みます。この墾田永年私財法とは簡単に言うとどういったものだったのでしょう。これは日本が奈良時代だったころに当時の政権によって作られた、土地に関する法律です。ちなみに奈良時代というのは和銅(わどう)三年、西暦710年~延暦十三年、西暦794年の間の時期を指します。お役人の許可を得てこれまで使用されていなかった荒地を開墾(かいこん)した、切り開いて作り上げた農地は期間を制限することなくずっと土地を切り開いた人物の所有、切り開いた人のものとすることを認めますという内容の法律です。本当に簡単に説明するとしましたら以上のような内容になるかと思います。しかしこれだけですとあまりに淡泊なので以下の項目でこの法律に関して補足してみます。

 

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墾田永年私財法の補足

 

墾田永年私財法は天平十五年、西暦743年に出されたと言われています。時の政権、朝廷の台所事情、予算の余裕があまりなくなってきたことや、食料の生産量を安定させるためといったことが法律を出す理由となった、そのような指摘が多いようです。台所事情が良くなかったことについては税収が安定しなかったこと、大規模な事業をいっぱいおこなったことで政権の出費がかさんだことなどが理由となっているようです。これまでも政権は仕組みを工夫して税収を確保しようとしていましたが、農業従事者である多くの人々の労働意欲が伴わず、人々に課せられる税負担が大きいことも原因となって農地を放棄してその土地から逃げてしまうようなことも頻繁に起きていたと言われています。農業従事者の方々が逃げ出さないよう労働意欲を刺激して税収と食料生産を安定させるために政権としても何か手を打つ必要があったわけです。この法律が出された時の政権のトップは聖武天皇(しょうむてんのう)というかたです。奈良の大仏さんの建立を推進した人物として有名です。この法律は身分に応じて、高い身分に所属する人ほど開墾して所有しても構わない土地を多く所有することが出来るという、経済的に強い立場の人々がより有利になる仕組みになっていました(身分が低くなるほど私有出来る土地の広さは小さい規模に制限されていました)。

 

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この法律が出された影響

 

土地をずっと所有していいよという規則が出来たのでこれまで荒れていた土地を開墾して農業用地にしようという気運が強まりました。政権側が使用している水路とは異なる、独自の農業用水のための水路も開発しなければならないといった条件もあり、土地を切り開くというのは非常に大変な労力を必要としましたので、開墾をおこなった人々の大半はお金を払ってたくさんの人員を動員できる経済的に豊かな立場の人々だったようです。神社や寺院の関係者、貴族の人々などです。こうして有力者の私有地が増加していき、その土地で生産される収穫物は税を納めれば他は全部自分のものとなります。農業従事者の耕作放棄が減り人々が納める税の合計量が増え政権の経済状態の改善につながったと見られているようです。しかしもともと当時の政権、朝廷はこの国の土地と人々はすべて国のものですという原則を掲げて政治をおこなってきていました。その原則がある中、墾田永年私財法を出して国内で私有地が増加していったことにより、かねてから掲げていた朝廷の「この国の土地は国のものです」という原則が全く実情に合わなくなっていきました。

 

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今回は墾田永年私財法について一部取りあげました。学校で教わった時、長い名前だなぁと思いながら呪文のように唱えて憶えようとしていたような気がします。歴史の教科書を読んでいてこの法律の名称を久しぶりに目にして、具体的な法律の内容を大まかにでも確認したくこのようなテーマの記事を作ってみることにしました。切り開いた土地は自分のものにしていいよという規則だったことは学校で教わった時にも理解していたように思いますが、身分に応じて所有していい土地の広さに制限が設けられていて、身分が高い人ほど広い土地を持てたという仕組みだったことについては今回調べていて初めて知りました。政権は大規模事業で経済的に豊かな人々から予算でいろいろと助けてもらっていたのでそれと引き換えに有力者に有利な仕組みの法律を作ったのでしょうといった見方もあるようです。この法律によって私有地の農業用地が増えていったわけですから、財産(土地)を所有できる、私有できるということが人々から多くのエネルギー、意欲を引き出すことが出来る仕組みなのだということを示しているのでしょう。当たり前と言えば当たり前な話です。ただ税負担が重たく、土地を所有してもあまり経済的な見返りが無いといった事情によって切り開かれた土地が後に放置されてしまうといった事例もあったようです。後の時代に税負担が軽減される仕組みが導入されることになり、政権から税を納めなくていいよと認められた私有地がどんどん増えていくことになります。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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