平安時代の話で聞く荘園(しょうえん)とは何なのでしょう

平安時代の話でよく出てくる荘園とは

 

平安時代に限った話ではありませんが、鎌倉時代などでも荘園(しょうえん)という言葉がたびたび出てきます。遠い記憶では貴族として有名な藤原氏の話で荘園の話がよく出てきたように感じますが曖昧な記憶なのでいいかげんです。個人的には漠然とした土地のイメージしか頭に残っていませんでしたが、荘園とはそもそも何なのでしょう。荘園というのはお寺や神社といった宗教勢力、力のある貴族が所有する場合が多かった、私有してもいいですよと朝廷から許可されていた土地のことだそうです。奈良時代に朝廷が出す法律によって私有して良いと認められる土地が発生するようになり、荘園が消滅するのはずっと先の豊臣秀吉さんがおこなった土地の評価、太閤検地(たいこう)の時期です(天正の時代、西暦1580年代以降の話です)。

 

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なんで荘園というものが出来てくるのでしょう

 

私有が認められる土地、荘園がどうして出てくるのでしょう。朝廷の収入、税収を確保するための仕組みが理由になっているようです。日本の奈良時代の政治の中央、朝廷は日本の土地、日本の民が天皇のものであると定めていました。日本に住む人々の大半は農業に従事する人々だったと思われますが、そういう一般の人々に課す税負担というのは相当重かったようです。あまりの税の重さが理由で人々に対して朝廷が農地を貸し与えてもまともに生活出来ないということで農地を放棄して逃げ出すようなことが頻繁に発生したそうです。人々が貸し与えた農地で農業をせずに逃げ出してしまうと農業生産は当然減り朝廷に入る税収入も減ります。こうした事情に対し朝廷も工夫を試みるのですが結果的には新しく開墾した土地は朝廷のものではなく開墾した者の土地としてよいという法律を定める、そういう政策をとることになりました。墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)なんていう名前の法律に聞き覚えはないでしょうか。この法律が出来たのは天平十五年、西暦743年の話なので奈良時代の話です(平安時代は延暦十三年、西暦794年以降になります)。土地を所有出来るという話に刺激されて労働力を集めて農地を造成するために開墾することが出来る人々はどんどん土地を切り開いていくことになりました。こういった開墾作業はとても大変なものですから、大半は労働力を確保することが出来る経済力のあった地方の豪族やお寺、神社といった勢力の人々が開墾し土地を所有しました。ただ土地の所有は認めるもののその土地から得られる収穫物の一定割合は税として朝廷に納めなさいというのが決まりになっていたので私有が認められた土地であっても税はあったわけです。

 

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朝廷の望まない方向へ

 

ただ、私有地である荘園に課される税負担がそれなりに重く、あまり経済的うまみが無いということなのでしょう。荒れはてる荘園もあったそうです。しかし中央政府内で一部荘園に関しては朝廷に税を納めなくてもいいよ、などという非常に荘園の持ち主にとって都合の良い制度がなぜか認められるようになっていきました。中央政府内で政治的発言力の大きな立場の貴族などが自分たちに都合の良いように制度を変えていったということなのでしょう。これによって税負担を治めなくてもいい立場の荘園になるとその荘園で農業に従事する人々は負担が非常に軽くなります(荘園の所有者に税よりは少ないながらも年貢を治めることにはなりますが)。税負担がなくなる荘園に自分たちの土地もしてもらおうと税負担しなくてもいい土地所有者(有力者)にお願いして、この土地は有力者の土地ですよということにしてもらいました。土地の名義を有力者のものにすると経済的に非常に楽になりこういった動きが広がっていきました。こういった世の中の変化によって税負担しなくてもいい土地が増えてしまって朝廷の税収入が減っていってしまいました。税収確保のために墾田永年私財法を創ったのに税収が減ってしまったので朝廷にとっては残念な結果ということになります。

 

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今回は荘園というものについて一部取りあげました。平安時代に関する記事を作りたかったのですがテーマの中で思い浮かぶものの中に荘園があったのですけれど、正直荘園というものがどんなものだったか全然思い出せなかったので確認の意味も兼ねてこのようなテーマの記事にしてみました。今回の記事も非常に基本的な内容に終始した記事ではありますが、個人的には重い税負担から逃れるための方便だったということが何となく理解できたので収穫ではありました。税金が重すぎると本当に大変ですよね。税金が理不尽に重すぎるままですと政治をする主体があれこれ工夫したとしても結果的にはうまく税が集まらない方向に世の中が流れてしまうという、こういった歴史的な事実は結構重要な気がするのですがいかがでしょう。また、開墾した土地の所有が認められることになったら、どんどん山林を切り開く気運が強まったというのも人というもののありようを雄弁に語っているように感じます。私有財産を認めないなどという政治体制が国際政治でつい最近まで一定の影響力を持っていましたが、そのような体制はそもそも人の本質にそぐわないということが過去の出来事をみることで何となくわかるような気もします。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

江戸時代の貴族の経済状況について触れている話「江戸時代の公家の方々の石高はどれくらいだったのでしょう」はこちらです。

秀吉さんのおこなった土地調査について触れている話「歴史で出てくる太閤検地にはどんな意味があったのでしょう」はこちらです。

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