陸軍パンフレット事件とは?問題とされた内容についても

陸軍パンフレット事件とは

 

陸軍パンフレット事件とは西暦1934年(昭和9年)10月に日本の陸軍省が作成し広く配布した冊子を理由に発生した出来事です。陸軍省はこの時「国防の本義と其の強化の提唱(こくぼうのほんぎとそのきょうかのていしょう)」という小冊子を作成、配布しています。陸軍はこれまでも一般国民を対象とした冊子を作成することはたびたびあったようです。しかしこの「国防の~」という冊子はその中で主張されている内容がこれまでの冊子のものとは異なっていたそうで、主張されていた内容が様々な立場の人たちから批判される結果となりました。

 

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問題となった内容とは

 

「国防の~」では国家の仕組みや国家の経済のあり方に関し国防を充実させるという観点から意見が述べられている箇所がありました。陸軍側が日本国の政治や経済について自分たちの主張を冊子の中で書き連ねたということです。冊子内の「国家生活の二面」という項目では、今のような国の仕組みのもとで貧困に苦しむ多くの国民を救い、多くの国民の生活向上を期待しながら現在の困難な状況を打開するために必要な様々な政策を実行し日本国の未来を保障する、守ることは大変難しいだろうといった内容が書かれています。当時の日本国の統治機構に関する発言であって政治に関する発言ということで誤りはないでしょう。また他国に対して取る姿勢に関しては、もしイギリスやオランダのように、少数民族が植民地を利用しているような国が不当な貿易競争を続けるような場合には正しいあり方を実現するため軍事力を行使することもやむを得ないだろうといった内容を述べている箇所もあります。経済のあり方に関しても、国民が皆自分勝手な、個々人を尊重するような経済の考え方をとるのを止めて、道徳的に見て問題とならないような社会全体を重視するような経済のあり方を選択し日本の理想を実現するのにふさわしいような経済の仕組みをうち立てることに突き進むのが望ましいといった内容を述べている箇所があります。この冊子の中で他にも政治や経済、他国への対応、つまり外交に関わる話に関し陸軍側が意見を述べている所はたくさんあります。これまで陸軍が発行してきた冊子ではこのような政治に関して述べられている内容を含んでいるものは無かったのだそうです。

 

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陸軍が政治に関し発言するという問題

 

陸軍の今回発行した冊子の中で日本の政治に関する主張が述べられていたことは政党や言論界、貴族院議員など様々な立場の人から陸軍に対する批判を集める結果となりました。それは何故なのかですが、もともと日本国の軍人は政治に関与してはならないという規則が存在していたからです。元軍人で現役から退いて政治家となる方はたくさんそれまでもいらっしゃいました。首相になった元軍人の方もたくさんいます。しかし現役で軍に携わる者は政治に関与してはならないと明治時代に指示がされていました(陸軍大臣、海軍大臣は別です。現役の軍人が担当してもいいことになっていました)。軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)という1882年に明治天皇のお名前で日本の軍人に向けられて言い聞かせられた言葉があるのですが、これはその後日本の軍人が当然守るべき内容となりました。長い内容のようですが、勅諭内に忠節という項目があって、そこでは「政論に惑わず政治に関わらず」という箇所があり軍人が政治に関与しないようお命じになられていました。実際、普通選挙法と呼ばれる1925年の衆議院議員選挙法の改正でも納税額に関わらず基本的に25歳以上の日本国民は選挙権を持つこととなりましたが、この時も現役の軍人に対し選挙権は与えられませんでした。また戦前の日本では皇族の方々は一定年齢になると貴族院議員となる仕組みになっていましたが男性の皇族の方々は軍籍にも入ることとなるため、議員にはなるものの実際の議員活動はしないことになっていました。軍人は政治に関与すべきではないという考えに基づいた対応です。当時の日本にはそのような規則があったにもかかわらず陸軍そのものがその規則を破る動きに出てしまったことは各方面に衝撃を与えました。

 

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今回は陸軍パンフレット事件について取りあげてみました。何が問題になったのかについてあまりよく知らなかったのと、当時の陸軍が規則を破り政治発言を臆することなくしたという出来事であり、当時の陸軍の姿勢を象徴するような話なので重要なのかなと感じたのが調べてみることにした理由です。この冊子の作成は陸軍の幹部の人たちの考えによるものであって本来陸軍内で発言力の無い若い将校さんたちが有志で作った冊子などではありません。陸軍のエリート中のエリートだった人たちが関与して作成されたものです。そのようなエリート中のエリートたちが軍人の最も重視するべき心得である軍人勅諭の内容を知らないはずがありません。陸軍の規律がとても乱れていたことがこのようなことでもわかります。この出来事が問題になった時の内閣は岡田啓介内閣でした。この内閣の当時の陸軍大臣は林銑十郎(はやしせんじゅうろう)という陸軍大将だった人です。この陸軍大臣が「国防の~」という冊子の配布に最終的な許可を出していました。この人は過去に極めて重大な規則違反をしたことがあります。天皇や陸軍中央の許可を得ていない状態で朝鮮半島に駐留していた日本軍を勝手に動かし、国境を越えさせ満州事変中の関東軍を支援しました。本来は極刑になってもおかしくないこのような行為が陸軍内で糾弾されることはありませんでした。その人物が出世して陸軍大臣となってしまうわけですから陸軍内の規律が乱れるのも当然なのかなという気もします。適切な時期に適切な対処(処罰)を行わないと組織は乱れて収拾がつかなくなるものなのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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