天皇陛下が訪中した頃、与党の幹事長だったのは誰でしょう

天皇陛下の訪中時に与党の幹事長だったのは

 

天皇陛下が中華人民共和国を訪問したのは西暦1992年(平成4年)10月23日から10月28日までの間でした。この時期政権を担当していたのは宮澤喜一(みやざわきいち)というかたが首相を担当していた宮沢内閣です。与党、政権を支える政党となっていたのは自由民主党でした。この時の自由民主党で幹事長を担当されていたのは綿貫民輔(わたぬきたみすけ)という方です。綿貫さんは当時存在していた派閥、竹下派(たけしたは)に所属していた議員でした。自由民主党の幹事長という立場は自由民主党の代表、総裁を支える立場の役職の一つですが、党の総裁を除いた重要な役職、総務会長、政務調査会長、選挙対策委員長、幹事長(党四役と呼ばれるそうです)の中で最も大きな権限を持っているそうです。副総裁という立場にどなたかが就任しているなら話は変わってきますが、党内では総裁に次いで二番目に重要な役職であるとも言われています。綿貫さんはその後西暦2000年から3年間、国会の衆議院議長という重職を担当しました。郵便局を民営化する法案に強く反対し2005年には自由民主党から離脱します。その後新政党「国民新党」の設立に参加、代表に就任し2009年まで代表を担当していました。別の政党を立ち上げたことなどを理由に自由民主党からは除名処分されます。2009年以降は国会議員としての活動はされていません。2013年には国民新党が解散しています。その後、自由民主党から綿貫さんの復党が2016年に認められ、自民党に戻られています。

 

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天皇陛下の訪中が決まったのは

 

時の政権、宮澤内閣が正式に天皇陛下の訪中を決めたのは1992年8月25日、訪中される2か月前に内閣の会議で決定しています。この年、1992年の4月に中国の江沢民という当時中国の総書記だった人物が日本を訪問した時に宮澤首相と会談しています。この時に、1972年の日中共同宣言によって日中間の国交が締結されてから20周年にあたる1992年は節目の年にあたることから、天皇陛下の訪中を宮澤首相に要請しました。それ以前にも中国の要人から日本の外務大臣や日本の前任の首相に天皇陛下の訪中を求める働きかけはあったようです。しかし与党の自由民主党内では中国の要請に応じるべきではないという意見がかなり強まっていました。天皇陛下の訪中が政治利用されてしまう心配を訪中に反対する議員さんたちはしていたようです。天皇陛下訪中が実現すると、実現させた中国要人の中国国内での評価が非常に高くなり、その人物の権限が強まることが予想されました。

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また1989年に発生した中国国内の民主化を要求する中国国民を中国政府が大弾圧した天安門事件(てんあんもんじけん)という出来事をきっかけに中華人民共和国政府は欧米などの民主主義陣営から強く批判されていました。そのような情勢の中、日本の天皇陛下が訪中されることは中国が民主主義諸国との関係を改善することに利用されてしまうと心配されてもいたようです。天皇陛下の訪中について与党の意見が大きく二分する状態となったので宮澤首相も判断に困ったそうですが、当時自由民主党の副総裁だった金丸信という人が首相に働きかけをおこない、天皇陛下の訪中話を進めたという指摘もあるようです(自民党の副総裁というのは空席のこともある役職だそうですが、この時は金丸さんが担当していました)。宮沢首相は8月10日に幹事長を含め自民党の四役の方々を招き、天皇陛下訪中の話を進める考えを伝えました。当時の綿貫幹事長は訪中のための環境整備に協力することを首相に伝えています。自由民主党内の意見をまとめることに協力するということでしょう。結果的に友好親善を目的に天皇陛下が訪中されることとなりました。

 

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今回は天皇陛下の訪中という出来事について一部取りあげました。歴代の天皇の中で中華人民共和国を訪問されたというのはこの時が初めてだったそうです。君主制を基本的には否定する共産主義の国、中華人民共和国に天皇陛下が初めて訪問されたということや当時の自由民主党内でこの訪中を決めた宮澤内閣に対し強い反発があったということなども含め重大な出来事と思い、訪中に関係する記事を作ってみました。本当は天皇陛下が訪中した時に中国側から印鑑を贈られることになってそれを日本側が断ったという話がまことしやかにされていたそうなのでそのことを取りあげた記事を作ろうとも考えましたが、外務省はあまり情報を公開していないようなので、詳しいことはわからず主題として扱うことは断念しています。金の印鑑を贈られそうになったという話もあるそうですがよくわかりません。中国の政権が他国の要人に印鑑を贈るというのは臣従関係、自分(中国)の支配下に属することを証(あかし)する意味合いが場合によってはあるそうで、天皇陛下の訪中について調べている中で「印鑑を受け取らないでよかった、危ない危ない」といった意見を目にすることが多々ありました。国交を結んでいる国とは言え、日本に対する世論が必ずしも良くない国に我が国の象徴が訪問されるというのはいろいろと難しい問題が出てきてしまうもののようですね。与党内で大きく意見が割れるというのなら天皇陛下の訪中を無理に決めず、行政のトップである総理大臣か立法のトップである衆議院や参議院の議長となっていた方の訪中で応じるというわけにはいかなかったのかな、という気が個人的にはしました。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

日本と中華人民共和国との関係に触れている話「台湾は日本との関係を日中共同声明後どうしたのでしょう」はこちらです。

国民党勢力と共産党勢力の関係に触れている話「第二次国共合作とは?合作成立の理由や合作の崩壊についても」はこちらです。

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