エネルギー革命が日本に及ぼした影響は何だったのでしょう
エネルギー革命が日本に及ぼした影響は
日本で使用されていたエネルギーを生み出すための資源が石炭から石油へまたは石炭から天然ガスへ変化していったことを「エネルギー革命 エネルギーかくめい」と呼ぶことがあります。主に石炭から石油への変化を指しているそうですが、天然ガスへの移行を指すこともあるようです。このような動きが1960年代の日本で急速に生じていました。このようなエネルギー資源の変化が日本にどのような影響を及ぼしたのでしょう。日本で起きたエネルギー革命の影響として国内石炭産業の衰退や交通機関の変化、電力供給の変化がよく挙げられます。
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国内石炭産業の衰退
それまで日本国内で採掘される石炭は日本の産業を支える基盤となっていました。鉄鋼業にも利用されていましたし動力源の材料、火力発電で燃焼させる資源としても活躍していました。しかし別のエネルギー資源である石油を、とても安い価格で入手できるような時代になっていきました。世界各地で石油を採掘するための油田がどんどん開発されるようになったのです。現在はサウジアラビアの油田はとても有名ですが、この国の特に埋蔵量の多いガワール油田が見つかったのは1948年で、この油田での生産は1951年から始まりました。別の中東の国、クウェートの大きな油田、ブルガン油田の生産が開始されたのは1946年です。石油産出国として有名なイラクの最大の油田、ルマイラ油田が発見されたのは1953年です。戦後大きな油田がたくさん見つかり生産がおこなわれることによって、それまで貴重な資源であった石油の価格が安くなっていきました。安いエネルギー資源であり液状のため扱いが便利ということもあって採用する産業が増加していき、それにしたがって石炭利用量は減少することになりました。国内で生産する石炭の価格を安くしようと人員を削減するなどの企業経営者側の動きは当然あったのですが大勢に影響を与えることは無く、閉山していく炭鉱が続出することになります。炭鉱で仕事をされていた労働者の人たちは仕事を変えざるを得なくなり炭鉱業で栄えていた自治体は人口が減り地元からの税収も減り衰退していくことになりました。日本国内の炭鉱としては規模の大きなものに北海道の石狩や釧路の炭田、福島県の常磐炭田(じょうばんたんでん)、九州の三池炭田、筑豊炭田といったものがあったことは有名ですが、こういった炭田の多くの炭鉱はエネルギー革命を契機に閉山していきます。
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交通機関の変化
乗り物に使用するエネルギー資源が変化していきました。かつては鉄道の主役となっていた蒸気機関車ですが、その後石油を燃料にして動くディーゼル機関車や文字通り電力で動く電気機関車に変化していきました。飛行機は当然石油を燃料として動きますし、船舶についても石炭を燃焼する蒸気で動かす方式は採用が減り石油を使用してディーゼル機関で動かすようになりました。また日本国内では乗用車を所有する国民が増加しましたが乗用車を動かす燃料はガソリンでしたので石油使用量の増加に繋がっていきました。
電力供給構成の変化
日本国内の電力は戦後しばらく水力発電が主役でしたが国内の経済が大変な勢いで発展する1954年末以降の高度経済成長期に入ると火力発電の占める割合が増加していきました。火力発電は石炭を燃焼することによって水を加熱し水蒸気を作り、発電機を回して発電する「石炭火力」と石油を燃焼して水蒸気を作って発電する「石油火力」があります。1955年の火力発電では石炭火力による発電量が石油火力による発電量の13倍くらいだったようですが、1965年になると石炭火力による発電量は石油火力の0.8倍にまで割合を低下させています。1955年では水力発電量は火力発電量の3.6倍にもなっていますが、1965年の時点では火力による発電量は水力による発電量の1.3倍以上にもなっていました。日本国内の発電の主役は水力発電から火力発電へと変化していきました。
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今回は日本国内で発生した「エネルギー革命」と呼ばれる現象によって生じた影響について一部取りあげました。石油が安く手に入りエネルギーとしてはもちろん、プラスチックをはじめとする資材の原料としても使われるようになって石炭はどんどん隅に追いやられるような、1960年代はそんな時代だったようですね。人々の生活が石油のおかげでとても便利になったことは間違いのないことですが、従来のエネルギーを産出する産業に携わっていた人たちからすると喜べない状況になってしまいました。炭鉱を経営する会社は炭鉱を閉山、炭鉱で務めていた人たちは辞めなければならなくなったので。エネルギーの移り変わりというのはエネルギーの産出、輸送などに関係する仕事の人たちにとても大きな変化を強いるということのようです。上の項目で扱いませんでしたが家庭で利用する燃料として中心になっていた木炭や薪(まき)はガスや電気にとってかわられてしまい、木炭や薪を産出する山間部の人々の仕事を奪う結果にもなってしまったそうです。産業分野の大きな変化によって良い面と不都合な面が出てくるのは仕方のないことなのかもしれませんが、生じる不都合を出来るだけ少なくするような柔軟な対応が必要なのでしょうね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
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