平清盛さんと厳島神社との間にはどんな関係があるのでしょう

平清盛さんと厳島神社の関係

 

源氏勢力が鎌倉を拠点にして政治をおこなうようになる時代の前は武士の強大な勢力、平家が政治を動かしていたと言われています。政治的な権限の大きい役職を平家の関係者が多く担当することで一時期この家系がとても繁栄しました。その繁栄していた頃の平家の指導者として平清盛(たいらのきよもり)さんはとても有名な方です。この方の政治的権限は大変大きかったようで対立関係になってしまった後白河法皇を幽閉してしまうなどということがまかり通ってしまうくらいでした。武士として初めて朝廷の中で特に重要な役職である太政大臣に任命された人物でもあります。平安末期の重要な人物でした。一方の厳島神社(いつくしまじんじゃ)ですが、現在の広島県廿日市(はつかいち)市に存在している非常に歴史のある有名な神社です。日本三景(にほんさんけい)という日本国内の三大絶景を指す表現がありますが、その三つの景色が素晴らしい土地の一つとして厳島神社が存在する広島県廿日市市の宮島(みやじま)とも厳島(いつくしま)とも言われる島が含まれています。ちなみに残りの二つは宮城県の松島(まつしま)と京都府の天橋立(あまのはしだて)です。観光面でも大変有名ですし、それ以前に宗教的にも大変重要な施設である厳島神社ですが、この神社と平清盛さんにどのような関係、関わりがあったのでしょう。清盛さんはこの神社を大変尊重し、神社でまつられている神様を篤く信仰していたと言われています。神社の宮の改築に関わったり、貴重品を提供したりしました。お経を奉納した事実は特に有名なようです。

 

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瀬戸内海で影響力

 

清盛さんは久安(きゅうあん)2年、西暦1146年に安芸守(あきのかみ)、現在の広島県西部にあたる地域、安芸(あき)の政治をおこなう役人に任命されました。これによって瀬戸内海の交易に更に強く関わるようになり、清盛さんは大きな経済的利益を手にするようになったと言われています。厳島神社は海上交通に大変ご利益があると言われていたそうで、船舶を輸送手段とする交易に深く関わっていた清盛さんとしては御加護を得たいと考えたことでしょう。まつられている神様に対する信仰を強めることとなったそうです。

 

神社の改築

 

厳島神社内の建物、社殿の改築に清盛さんが強く関与したと言われています。現在まで伝えられている建築様式、平安時代に盛んに造られていた建築様式である寝殿造りの建物となったのがこの清盛さんが改築に関わった時でした。寝殿造りというのは南側に中心の建物、寝殿(しんでん)を設置し寝殿から見て東、西、北側に建物を左右対称になるように造る建築様式です。貴族の方々の邸宅が多くこのような様式で平安時代に建築されました。清盛さんが厳島神社の改築に関わったことについては、清盛さんが寝ている時に見た夢の中で厳島神社の宮を造ったら、ご加護によってさらに出世しますよといった内容のお告げがあったとか高野山の寺院施設再建に関与した時に見知らぬ不思議な僧侶が厳島神社の改築、修繕を勧めてきてすぐさま姿を消した、などといったお話が伝わっているそうです。

 

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お経

 

また神社の社殿を改築する以前に清盛さんは平家のおもだった人々と共にお経を写し、清盛さんの祈願文と共に厳島神社に奉納しました。長寛(ちょうかん)二年、西暦1164年のことでした。「平家納経(へいけのうきょう)」と呼ばれています。過去の人々がこの写経物を大切に保存し現代まで引き継がれてきました。昭和の時代に国宝にも指定されています。神社に仏教のお経を奉納したということについて私などはしっくりこない面もありますが、平家の方々が大変な宝と信じる仏教の経典を書き写した物を神社の神様にささげたてまつったということであって当時の方々にとっては違和感のあるものではなかったようです。宝をお供えするといった感じなのだそうです。

 

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今回は清盛さんと厳島神社の関係について一部取り上げました。鎌倉時代の前に繁栄していた平家について何か記事を書きたいと思ったのですが、清盛さんと厳島神社の関係について一般的に関心が持たれているようなのですが、個人的にはこの二者の結びつきについて全く知らなかったためつながりを確認したくこのようなテーマの記事にしてみました。厳島神社の繁栄に貢献したということもあって、後に厳島神社の近くに清盛さんを神様としてまつる神社、「清盛神社きよもりじんじゃ」も造られることになりました。また国内には厳島神社から他の地域に神様を移し(こういうのを遷座「せんざ」と呼ぶそうです)、各地で厳島神社の名で多くの人々から崇められているようです。京都の厳島神社は現在公園となっている京都御苑(きょうとぎょえん)の中にあり清盛さんの母親も神様としてまつられています。平清盛さんの周囲では権力闘争が付いて回るので俗な印象が個人的にはあるのですが、このように人知を超えた存在に対する思い入れがとても強かったという側面もあったのですね。政治権力を手にしてライバルも多かったでしょうから、そういった神様のような超越した存在に傾倒していくのも自然なことだったのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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