院政(いんせい)や上皇(じょうこう)とは何なのでしょう

院政(いんせい)、上皇(じょうこう)とは

 

武士の勢力である平家が台頭して繁栄した時代が一定期間続いたり、それを望まない勢力が各地の武士集団に呼びかけて、源頼朝さんが中心になって平家勢力が倒され、今度は源氏の指導者を頂点とする武士勢力が政治的な権限を握る時代に変化していきます。そのような過程で時々、「後白河法皇(ごしらかわほうおう)」という人物の名前が登場していました。~天皇という立場の人物が朝廷の利益を代表して動くような話はこういった時期ですとあまり聞かないような気がします。武士が権限を強めていったこの時期も歴史の中では「院政(いんせい)」が盛んにおこなわれていた時代に含まれているそうです。後白河法皇という人も院政をおこなっていたと言われています。後白河法皇もしていたというその院政とはそもそも何なのでしょう。院政とは天皇の座を退いた元天皇の立場のかたが政治をおこなうことを意味する言葉です。そして天皇の座をゆずった元天皇の立場にあるかたを上皇(じょうこう)とお呼びするものなのだそうです。そして上皇の立場のかたが出家して僧侶になった場合には「法皇(ほうおう)」とお呼びしていました。後白河法皇もそういった立場のかただったので「法皇」と呼ばれていたのです。出家されていたんですね。

 

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院政とは

 

天皇の座をゆずった元天皇である上皇がお住いになる邸宅を院(いん)と呼んでいたそうで、そういった人物が政治をおこなうからということで院政と呼ばれています。院政が本格的におこなわれたのは白河天皇(後白河法皇と別人物です)という方が天皇の座を白河天皇の息子さんにあたる堀河(ほりかわ)天皇に譲ってからだと言われています(応徳おうとく三年、西暦1087年)。堀河天皇は8歳頃に天皇に即位しました。8歳のかたが政治的な指導力を発揮するのは無理な話ですし、堀河天皇の場合は特別だなどと言ってそれを期待することも出来ません。代わりに政治をおこなったのは天皇の座をゆずった父親の白河上皇でした。白河上皇はその後堀河天皇、鳥羽(とば)天皇の在位期間、崇徳(すとく)天皇の在位期間の途中まで(40年以上も)院政をおこなったと言われています。似たような仕組みで後に鳥羽上皇も院政をおこないますし先ほど出てきた後白河法皇も院政をおこないました。天皇がいるにもかかわらず上皇が政治をおこなうというこのようなやり方が盛んにおこなわれた時代は白河上皇以降100年以上続きました。後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が北条氏を中心とした鎌倉幕府と戦争した承久の乱(じょうきゅうのらん承久三年、西暦1221年)までが盛んに院政のおこなわれていた時期だとされています。

 

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なぜ院政を

 

白河天皇はなぜ上皇になって政治をおこなったのでしょう。天皇の座をゆずる堀河天皇がじゅうぶん大人になるまで白河天皇が天皇の座に居続け政治をしたらよかっただけの話のようにも思えます。院政という手法を白河天皇が選択した理由として今後どの人物を天皇に即位させるか影響力を持つことが出来たからという見方があるようですし、白河天皇が経済的な利益を獲得するためには天皇の座を退いた立場のほうが都合は良かったから、といった指摘もあるようです。天皇という立場にあると個人的に財産を自由に扱うことが難しかったようです。それにひきかえ上皇の立場になると土地の利権や実質的な役職の任命権利を利用した経済的利益の確保がしやすく、これによって朝廷の経済的利益を安定させることが出来たと見られています。平安時代は一部の貴族が政治の実権を握り、国内の様々な土地の利権を得てしまい朝廷の獲得できる経済的な利益が少なくなってしまっていました。そうした朝廷の苦しい状況を回復させるために白河天皇はこのような手法をとったという見方もあるようです。

 

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今回は院政、上皇について取り上げました。武士勢力の台頭した時代について調べていますと法皇のことが出てきますし院政が盛んにおこなわれるようになってから武士の果たす役割も大きくなっていったと言われているそうです。何となく学校で学んだ記憶はあるものの、改めて内容を確認してみたくこのようなテーマの記事を作ってみました。次の天皇を決めるための影響力が得られる利点があったという話は何か学校で聞いたような気もしますが経済的利益についての見方は耳にしたことがこれまでありませんでした。お金が無ければ必要な人材、護衛につく人々を雇うことも出来ないでしょうし、わざわざこのようなこと(院政)をしなければならなかったということでそれだけ当時の一部貴族などによる経済的な浸食の強さが推しはかれるようにも思います。白河上皇のやり方は朝廷にとって画期的なことだったのでしょうけれど、歴史にあるように、その後土地の権益は台頭する武士勢力にどんどん奪われていくことになってしまいます。一時的に政治的な仕組みを工夫して経済的な利益を回復させたとしても、確固とした武力を持つ勢力が台頭してくると主導権は強い武力を持った側に結局移ってしまうものなのですね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

上皇の動きが関わってくる話題「源義経さんと源頼朝さんの関係はどの様に経過したのでしょう」はこちらです。

影響力を持ったまま役職を引き継がせた他の話題「徳川家康さんが将軍を担当した期間はどれくらいなのでしょう」はこちらです。

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