武士という存在が誕生した理由は何だったのでしょう

武士が誕生した理由

 

建久(けんきゅう)三年、西暦1192年に源頼朝(みなもとのよりとも)さんが征夷大将軍に任命されて鎌倉の地に政権、いわゆる鎌倉幕府を開いて政治をおこなったと言われていますし、それ以前は平家(へいけ)と呼ばれる一族が政治上強い権限を持っていた時代もありました。平家の人々も鎌倉幕府の頂点に君臨した頼朝さんも武士と呼ばれる人々です。鎌倉幕府以降、朝廷が短期間政治を仕切ったり国内が混乱する戦国時代もありましたが大抵は室町時代、江戸時代と政治の実権は武士が握っていました。歴史をさかのぼって、もともと政治をしていた天皇を中心とする朝廷、貴族の人々にとっては愉快な話ではなかったことでしょう。過去の長い期間、政治と密接な関係にあった武士という存在。そういった人々が誕生した理由は何だったのでしょう。紛争が発生してしまうから、朝廷が治安を守る政策に力を入れることが難しかったからといった指摘が多いようです。

 

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紛争の発生

 

西暦1000年代から1100年代にかけて日本の地方では武装した勢力が争いをおこなうようになりました。もともとは所有する土地を拡大したい、自分たちの土地を守りたいといった経済的利益を理由とした争いだと思われますが、そのような紛争が発生した場合中央政府である朝廷はその混乱を鎮圧する役職に地方の有力者や一部の貴族を任命して事態を収拾させるようにしました。押領使(おうりょうし)とか追捕使(ついぶし)と言われる役職だったそうです。役職に任命された人々は朝廷から命じられた仕事をおこないますが、その仕事が終わった後も地方の有力者は居場所が変わることはありませんが、中央から派遣された貴族であっても地方に残る事例がありました。中央に戻った下級貴族としての生活よりも地方での生活のほうが良かったからという見方がこれに関してはあるようです。こうして地方に居続けることになった元々は朝廷から紛争の鎮圧を命じられた人々が後に武士と呼ばれるようになった人々になっていったという指摘が多いようです。

 

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治安が悪くなったから

 

世の中が平和であれば人が武装しようなどとはあまり考えることもこともないでしょう。現代のように警察機能が整備されている世の中であれば一般の人々の間で武装する権利を与えろなどという動きが強まることは考えにくいかと思います。しかし平安時代には国内の警察機能が充実していなかったという指摘があるようです。平安時代が始まったのは延暦(えんりゃく)十三年、西暦794年からとされていますが、その直前の延暦十一年、西暦792年から桓武(かんむ)天皇という人物が経済的な理由(朝廷にあまり予算が無い)で軍機能を廃止するという政策をとり始めたのだそうです。これによって集団が武装して犯罪をおこなうような場合に、以前と比べて朝廷が対応出来なくなっていったそうです。地方の治安がとても悪くなってしまいました。地方の農民などの人々は朝廷をあてにしても守ってもらえないことから自分たちの財産や命は自分たちで守るしかないと考え武装して、もしもの場合に備えるようになっていきました。こうした武装する農民などの人々が武士の始まりであったという見方もあるようです。武士の誕生の理由として先ほどから紛争の発生、朝廷が治安の維持に力を入れられなかったことを挙げておりますが、言い方を変えれば中央政府の予算が乏しかったのと京での下級貴族の生活が厳しかったから武士が誕生したとも言えるのかもしれません。

 

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今回は武士と呼ばれる人々の誕生について一部取り上げました。歴史を扱った記事をこれまで作って来ていますが武士の方々が中心となる時代は長く、そういった方々に関する記事がやはり多いのですけれど、どうして武士と呼ばれる人たちが登場したのか個人的によくわかっていないこともあってこのようなテーマの記事を作ってみることとしました。警察の担当をする人たちがいなければ自分たちの財産や身を守るために自分たちで武装しなければならないと考え、行動するのは当然でしょう。国の政治をおこなう朝廷が軍事・警察機能を低下させてしまったという事情があるならその必要性は当然強まりますよね。軍を維持するのにはそれだけ経済的な負担が必要だったということになりますが、軍を廃止する決断をするというのもまた極端な政策のようにも感じました。それだけ当時の日本は他国からの侵略に対し危機感を持っていなかった、心配する必要が無かったという証なのかなという気もします。中央から派遣された紛争鎮圧のための貴族の人々が地方に居ついた理由がよりいい生活が出来るからという指摘についても経済的なことが関わる話ですし、武士の誕生には意外とお金が絡んでくるものだったのですね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

朝廷の影響力の衰退や武士勢力の力の強さを示す話題「六波羅探題(ろくはらたんだい)とは?簡単に説明しますと」はこちらです。

既存の勢力と武士との間のトラブルについて触れている話「鎌倉幕府の話で出てくる地頭(じとう)とは何なのでしょう」はこちらです。

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