1960年代日本政府が原子力発電を推進した理由は?

1960年代日本政府が原子力発電所を推進した理由は

 

日本で実験用ではなく最初の商業用の原子力発電所が誕生したのは西暦1966年(昭和41年)です。茨城県の東海原子力発電所が最初の原子力発電所でした。建設が始まったのは1960年です。その後1966年に福井県の敦賀市で、1967年の8月には福井県の美浜町で、1967年の9月には福島県の大熊町で原子力発電所の建設が始まります。1960年代の日本ではこのように原子力発電所の建設が推進されていきました。どのような理由で日本政府は原発を推進しようと考えたのでしょう。その理由としては必要とされる電力エネルギーの増加や従来の発電方式の事情、貿易収支、科学技術の向上といったものがあったようです。

 

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電力需要の増加

 

他の記事でも触れることがありましたが、日本の経済は1954年の年末以降大変な勢いで発展することになります。高度経済成長の時代に入っていきます。経済の発展に伴って国内で必要とされる電力量はどんどん増えていきました。一般財団法人、日本経営史研究所が提供されている資料「戦後の産業別使用電力量」によりますと1951年の産業分野での全国の使用電力量は245億8200万キロワットでした。これが4年後の1955年になりますと360億3100万キロワット、9年後の1960年では687億5100万キロワットとなっており確かにかなり増加しています。政府は1970年には1959年の電力需要の約2.8倍に、1980年には1959年の電力需要の約5倍にも増加する可能性があると見ていたそうです。この膨れ上がる日本国内の電力需要に対応しなければならないという責任が政府にはありました。

 

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従来の発電方式の事情

 

1950年代の日本では必要とする電力を主に水力と火力による発電でまかなっていました。とりわけ中心となっていたのは水力発電です。水力発電をおこない電力を供給しようと政府も色々な所にダムを建設しました。国内で一番発電量の大きな水力発電所は福島県の奥只見(おくただみ)発電所ですが、ここの建設が始まったのは1953年で1960年から営業しています。2位の田子倉(たごくら)発電所のダム、これも福島県に存在するダムなのですが、これも建設が始まったのは1953年です。3位の静岡県にある佐久間(さくま)発電所のダムも1953年、4位の富山県にある黒部川第四発電所のダムは1956年に建設が始まりました。政府は懸命に大掛かりなダムを1950年代に作っていた事が伺われます。しかしこのような大掛かりな設備をいくつも作るというのは場所の確保の問題もあり難しくなってきていました。中心となっていた水力発電にも限界があるだろうと政府は見ていたようです。

 

貿易収支

 

水力にあまり頼れないということもあり火力発電に頼っていくことになりますが日本には火力発電に使用する資源がそれ程ありません。石油は全く採掘できないわけではありませんが少量しか供給出来ていません。石炭は取れるにせよ価格の問題もあってやはり輸入に頼る量は多く、火力発電のために石油にせよ石炭にせよ他国からたくさん購入しなければなりません。日本が貿易で得ることの出来た外国の通貨のかなりの額がその石油、石炭の支払いにあてられることになりました。輸出額よりも輸入額のほうが多いと貿易赤字になります。そうなると他国との商売で支払いの為に必要な外国の通貨が減ってしまい日本にとって好ましい状況とは言えません。火力発電ばかりに頼ってしまうと大量の資源を輸入しなければならず、その為の出費がかさんで日本の経済にとって負担となってしまうということです。

 

科学技術の向上

 

また原子力発電を開発するためには高度な技術が必要となります。実際に国内で原子力発電を実施することによって新たな技術が生み出され、原子力分野の産業が発展し日本の科学技術の向上につながると見られていました。医学や生物学、農業に放射性同位元素、ラジオアイソトープが利用されるような、他の分野での応用も期待されていたようです。

 

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今回は日本で原子力発電所が1960年代に続々と作り始められたという出来事に関し一部取りあげました。日本史の教科書を読んでいると高度成長の時代、政府は積極的に原子力政策を推進したという内容が書かれているのですが、原子力発電の開発や建設には多額のお金が必要となる中、なぜ政府は1960年代に建設を推進しようとしたのかよくわからなかったためこのようなテーマで記事を作ってみました。従来の発電方法だけですと何かと都合の良くないことがあったということであり、水力発電の場合は場所の確保が、火力発電の場合は貿易にまつわるお金が膨大という点が問題だったようです。そうはいっても政府はどんどん増える電力需要にも応じなければなりません。経済が発展するというのは国にとってはとても喜ばしいことではありますが、それに応じて世の中の仕組みを変えなければならない政府の側としては悠長なことは言っていられず本当に大変です。今回の原子力発電所の推進理由については1961年に作られた原子力委員会の「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」の内容を参考とさせていただいています。国の行政機関の報告内容ですから巷の一部で言われているような核兵器開発のために原子力発電の開発が必要だなどという内容が盛り込まれているはずもありません。ただ国内に原発が存在しない状態より原発が開発、稼働している状態のほうが核兵器開発にとっては当然都合は良いのでしょう。原子力政策を推進した政治家の方々の胸の内にはそういった目論見もあったのかもしれませんがはっきりした根拠は調べている中で特に確認できなかったので、この記事の中では大きく扱いませんでした。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

実用化されている他の発電方法について触れている話「発電方法の一つである地熱発電の利点や欠点について」はこちらです。

実用化されていないものの研究が進められている分野の話「核融合発電とは?この方式のメリットやデメリットについても」はこちらです。

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