故事成語「石に立つ矢」の意味や類語、由来の話について

「石に立つ矢」の意味

 

故事成語「石に立つ矢(いしにたつや)」の意味ですが、この言葉は「一つのことに集中して取り組めば、どんなことでも成し遂げられる」ということを示す例えになります。

 

「石に立つ矢」の類語

 

「石に立つ矢」と同じ意味になる言葉としては「思う念力岩をも通す(徹す) おもうねんりきいわをもとおす(てっす)」や「精神一到何事か成らざらん せいしんいっとうなにごとかならざらん」、「一念岩をも通す いちねんいわをもとおす」などがあります。若干意味がずれはしますが、似たような意味の言葉には「一念天に通ず いちねんてんにつうず」(強い思いがあればその心は天に通じて必ず実現するという意味)、「雨垂れ石を穿つ あまだれいしをうがつ」(小さな力であっても続けていれば、いずれ成果が得られるという意味)などがあります。

 

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「石に立つ矢」の由来

 

故事成語「石に立つ矢」は中国の古典、「史記(しき)」に掲載されている話が由来となっています。書き下し文を私なりの言葉で現在の表現にしたものを以下に示します。誤った所があるかと思いますがご了承ください。

 

大昔の中国大陸には漢(かん)という国が存在していました。その漢に李広(りこう)という人がいました。この人は漢の軍の将軍を務めていた人です。この李広さん、右北平(ゆうほくへい)という地域に居たことがありました。(右北平は中国大陸の渤海に面している地域の一部のようです。渤海は朝鮮半島に近い遼東半島と遼東半島の向かいにある大きな半島、山東半島の間にある海域です)漢の国の人たちとは異なる民族である匈奴(きょうど)民族の人たちはこの李広さんの噂を耳にしており、李広さんのことを「漢の飛将軍(飛将軍というのは行動が素早く強くて勇ましい優れた将軍ということのようです)」とあだ名して数年間この李広さん率いる軍との戦闘を避けるためこの右北平地域に攻め入りませんでした。

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ある時李広さんが外出して狩猟をおこないました。狩猟をおこなっている途中草の生い茂った中にあった石を見て虎がいると勘違いし弓矢で虎に見えた石めがけてを狙い放ちました。矢は石にあたり矢じりが石の中に入り込みました。虎を射止めたと思ったのは実は石だと李広さんは気付きました。矢で石を射ることが出来るのかと思い、再び先ほどのように弓矢を石めがけて放った所、一度も先ほどのように矢じりが石に入るようなことはありませんでした。

 

以上のような話が史記の中に掲載されています。

 

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今回は「石に立つ矢」について取りあげてみました。この故事成語を取りあげたのは由来となった話が興味深かったからです。本当に矢じりが石に刺さった話が存在して、そのまま史記に書いたのかそれとも創作話なのか私にはよくわかりません。ただ石だと思って矢を放っても突き刺さらず、虎だと思って矢を放ったら突き刺さるということが書いてありますし、思い込みが物事の結果に相当影響するということを言っているのかなと感じました。使われている故事成語の意味とは少し異なりますけれど。半ば「無理だよな」と思って行動していると実現できることも実現できないというものならば大して根拠がなくても「出来る!」と信じ込むことの出来る人は有利なのかもしれませんね。何としても、どうしても実現したいことが出てきた時のためにこの故事成語を覚えておいてもよいかなという気がしました。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回と異なり、力の入っていない印象の表現に関連した記事「故事成語『尾を塗中に曳く』の読み方や意味、由来について」はこちらです。

今回と似て、強い意志を感じる表現に関連した記事「『愚公山を移す』の意味と由来の話(現代の表現で)について」はこちらです。

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