故事成語「臥薪嘗胆」とは?意味や由来となった話について

「臥薪嘗胆」の読み方

 

故事成語「臥薪嘗胆」は「がしんしょうたん」と読みます。胆は内臓の「胆のう」で見かけることはありますが他の三つの漢字は日常そんなに見ませんし使いませんね。私だけでしょうか。

 

「臥薪嘗胆」の意味

 

「臥薪嘗胆」には復讐することを目的に困難で苦労するようなことを我慢する、という意味や何らかの目標を達成するためつらい思いをしつつも努力を続ける、という意味があるようです。復讐のためあるいは何か目的を叶えるためという点で少し意味が異なってくるようですね。辛い思いは共通しそのような辛い中で耐える、努力するということのようです。

 

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「臥薪嘗胆」が故事成語となった由来の話

 

中国に大昔存在した呉という国に闔廬(こうりょ)という王様がいました。王様は伍員(ごうん)さんという人物をとりたてて呉の政治を行っていました。この伍員というかた、大人になってからは子胥(ししょ)さんという名前にしていました。子胥さんは楚という国の伍奢(ごしゃ)という人物の子供でした。この伍奢さんが亡きものとされて子胥さんは呉に逃亡し、その後子胥さんが兵を率いて楚の郢(えい)に攻め込んだということがありました。

ある時呉は越という国と戦争となり、越に攻め込みましたが闔廬さんは負傷し結局亡くなってしまいました。それによって闔廬さんのお子さんの夫差(ふさ)さんが呉の王様となりました。先ほど出てきた子胥さんはこの新たな王様、夫差さんにも仕えることとなりました。

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夫差さんは父親の敵を討とうと心に決めました。夜朝寝る時には薪(たきぎ)を枕にして、夫差さんのもとを出入りする人たちに「夫差王様、あなたは越があなた様の父上を殺害したことをお忘れになったのですか?」と言わせました。

周の敬王が即位されて26年となるときに夫差さんは夫椒(ふしょう)という地域で越と戦い勝利しました。越国の王である句践(こうせん)さんは生き残った兵を率いて会稽(かいけい)に移動しそこに身を置きました。句践さんは呉の家来となり句践さんの妻は夫差さんの側室にしますから、せめて命は助けてくださいと求めました。子胥さんは駄目だと言いましたが夫差さんに仕えていた高官の伯嚭(はくひ)さんは越から賄賂を受けました。伯嚭さんは夫差さんの説得に成功し夫差さんは越を許しました。

越の句践さんは地元の越に帰りました。彼は肝を日頃から高いところに掲げて肝を仰いでその肝をなめて(苦いのだそうです)「お前は会稽で味わった屈辱を忘れたのか。」と言いました。

 

以上古典「十八史略」の中にある臥薪嘗胆とかかわりのある話を私なりに現在の言葉で表現してみました。原文の意味と異なっている場所もあるかもしれませんがご了承ください。臥薪嘗胆の「嘗」の字は「なめる」という意味があるようです。

 

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今回は「臥薪嘗胆」を取りあげてみました。臥薪嘗胆という故事成語を私が普段使用することはありませんが耳にしたことはある言葉です。歴史の授業の中で聞いた記憶があるんですよね。

日本が清と戦争した後に清の領土を一部得たものの、ロシアの活動によって他の欧州の強国も参加し日本が得た領土の一部を清に返還するよう圧力をかけた出来事がありました。「三国干渉」と言われている出来事だったと思いますが、当時の日本はロシアなどの国と戦えるほど強い国ではなかったということで、ロシアなどの干渉国の要求に従うほかありませんでした。この時の日本の世の中で叫ばれたスローガンが「臥薪嘗胆」だったんですよ、と当時先生に教わったような気がします。

たまに日本人は忘れやすいなどと言う評論を聞くことがありますが、それが正しいかはよくわかりません。もし忘れやすい傾向があるというなら、戒めとしてこの故事成語の由来となった話は役に立つかもしれませんね。

ただあくまでポジティブな目的の達成のためという限定で利用したほうがいいのではないか、と個人的には感じました。ネガティブな目的を掲げていると幸運を逃してしまいそうな気がするのですが、どうなのでしょう。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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