ロンドン海軍軍縮条約を統帥権干犯と問題にした海軍軍令部とは?

海軍軍令部とは

 

海軍軍令部(かいぐんぐんれいぶ)とは日本の海軍に存在した機関で海軍の軍令(ぐんれい)、作戦の指示、軍を指揮することを軍令と呼ぶそうですが、海軍に関してはその軍令を出す機関が海軍軍令部となります。海軍軍令部は天皇の指揮下にある機関で、仕組みの上では時の内閣の意向が影響しない、内閣から独立した存在でした。

 

統帥権とは

 

大日本帝国憲法のもとでの天皇の権限に関する記事でも取り上げましたが、統帥権というのは軍隊をコントロールする最も強い権限を意味するそうで、どの国でも一般的に用いられる言葉というわけではないようです。この統帥権は当時の日本では天皇がその権限を持っており、時の内閣はこの統帥権に関し口出しが出来ない、影響力を行使できない仕組みになっていたそうです。憲法上天皇がこの権限を持っていましたが、実際の権限の運用を天皇は陸軍、海軍に任せていました。具体的に、軍の指揮、作戦内容の指示、戦略の構築、作戦指示と重複しますが出兵、撤兵の命令などは統帥権の範囲に含まれていたようです。

 

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統帥権干犯だという批判が海軍軍令部から出た理由

 

ロンドン海軍軍縮条約に調印したことで日本海軍は重巡洋艦と呼ばれる種類の軍艦をアメリカの保有数に比べ6割の数しか持てないこととなりました。巡洋艦というのは小型で高速で移動できる特徴のある軍艦です。重いクラスと軽いクラスがあり、日本海軍は重いクラスの巡洋艦をアメリカと比べ7割くらいの数は保有したいと考えていました。また潜水艦の保有数についてはアメリカと同じくらいの保有数が認められましたが、日本海軍の希望した保有数に比べ少ない数に制限されることとなりました。海軍軍令部はそのような内容でロンドン海軍軍縮条約に調印することに反対のままでした。海軍軍令部という天皇直属の軍令を出す機関が反対している内容にもかかわらず、海軍の兵力を制限する内容の条約に調印したということは天皇の権限である統帥権を侵害する行為、干犯(かんぱん)である、という批判が政府に対して向けられました。この批判は海軍軍令部だけではなく議会の野党である政友会や過激な国家主義者からも出ていたそうです。兵力の規模、内容については大日本帝国憲法では内閣が天皇に対し助言するべき分野に含まれるものなのだそうですが、その一方で軍令部条例という憲法とは異なる規則もあったようで、その規則には海軍の兵力の規模について内閣が決める場合、天皇が統帥権を委ねている海軍軍令部の同意が必要だとあったのだそうです。この軍令部条例という規則が問題をややこしくしていた原因だったようです。

 

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今回はロンドン海軍軍縮条約調印後の統帥権干犯問題について取りあげてみました。軍が時の政権に対する批判を強めたという出来事でもありますし、その後政府を攻撃する理由として統帥権を持ち出す出来事が再び生じるそうなので、最初の事例として重要だという気がしたため調べてみることにしました。軍の作戦指揮に関する権限は時の天皇に存在し、軍の編成(規模の決定)、国防政策、軍の予算、人事など維持、管理に関する権限、軍政(ぐんせい)と呼ばれる分野は実質的に内閣が担当する、というのが大日本帝国憲法下の仕組みだったようですが、こういう仕組みだと内閣の意向だけで物事を決めづらいですね。あまりにこのような類の意見衝突が出てきて収拾がつかないのなら、時の天皇自らが意思表示しないと話が進まないのではないでしょうか。しかし天皇に対する政治責任追及がおこなわれない為にも、天皇は政治にあまり介入すべきではないというしきたりがあったようですし、あまり介入すると時の天皇と考えが異なる実力組織に狙われてしまう危険性も強まってしまうかもしれません。天皇がどのように振る舞うべきか難しいところです。

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あまりにも統帥権に関し問題になるようであれば、天皇が大日本帝国憲法の改正に関する命令を出し、天皇が持つ統帥権を内閣に委ね、軍は内閣に助言するなどと明文化すればよかったのでしょうか。憲法は権力機構が守らなければならない基本的なルールなだけに内容によっては混乱をきたしますね。その点では日本国憲法ですと最高指揮官が内閣総理大臣で時の天皇ではありませんから、今回取りあげたような問題も起こらないということなのでしょう。大日本帝国憲法下では憲法改正のためにまず天皇による「この件に関し憲法改正の議論をせよ」という議会に対する命令が必要になったのだそうです。そういう段取りが必要だと国会議員は議会に対する天皇の御命令が無い時点で「憲法改正が必要だ」などと主張しにくいでしょうね。そんなことを言うものなら「天皇の権限を侵害する不届き者」などと批判され議員を辞めさせられたのではないでしょうか。時の天皇の側近が天皇に直々に「『これこれの件で憲法改正について議論せよ。』という命令を出してはいかがでしょう。」と助言を申し上げるようなことをするくらいしか憲法改正について天皇が命令を出す機会を作ることは出来なかったのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

天皇の権限にまつわる議論と関係する話「国体明徴声明とは?その内容や天皇機関説事件についても」はこちらです。

犯人が統帥権干犯も理由に挙げていた話「浜口雄幸首相が狙撃された事件とは?事件後の容体についても」はこちらです。

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