国体明徴声明とは?その内容や天皇機関説事件についても

国体明徴声明とは

国体明徴声明(こくたいめいちょうせいめい)とは西暦1935年(昭和10年)の8月と10月に当時政権を担当していた岡田啓介(おかだけいすけ)内閣が出した日本国の統治権に関する声明です。岡田さんは海軍出身の人物です。国体(こくたい)というのは日本国の天皇を中心とした政治的な秩序を意味し、明徴(めいちょう)というのは、はっきりと明らかにすることを意味します。つまり国体明徴というのは国体をはっきりと明らかにすること、という意味になります。なぜわざわざこのような声明を出すことになったのかについては天皇機関説事件の項目で説明します。

スポンサーリンク

国体明徴声明の内容は

上でも書きましたが声明は8月と10月に出されています。8月の声明も10月の声明も簡単に言えば「日本国を統治する権利は天皇に存在する。」という内容になっています。ただ主張の強さが異なっています。8月の声明では以下のような内容が述べられています。大日本帝国憲法の第一条に「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」と書いてある通り、大日本帝国を統治する権利は天皇にあることは明らかである。もし統治権が天皇に無く、天皇は統治権を行使するための機関であるという考えでは我が国の国体の本来あるべき姿ではなくなってしまう。近頃憲法の学説が用いられた国体のあるべき姿に関連した議論を見ると本当に残念だ。以上のような内容になっており、天皇に国の統治権があることを述べ、天皇は統治権を行使するための機関だという意見は遺憾、残念だと述べています。しかしその後、10月に出された声明では以下のような内容になっています。我が国の統治権の主体が天皇にあることは国体のあるべき姿であって、大日本帝国臣民の絶対不動の信念である。他国の憲法学説を持ち出して我が国の統治権が天皇には無く国家にあると捉え天皇が国家の機関であるという天皇機関説は国体の道理に反していて本来あるべき姿を大変誤解させている。厳しくこのような学説を取り除かなければならない。以上のような内容が述べられており国の統治権が天皇に存在することを改めて強調し、統治権が国家にあるという考えは除かれなければならないと前回の声明「遺憾(いかん)」に比べ強い表現で否定しています。

スポンサーリンク

天皇機関説事件について

憲法学者で貴族院の議員であった美濃部達吉さんという人がいます。この人は大正時代に天皇機関説と呼ばれる大日本帝国憲法に関する学説を説きました。日本国の統治権は天皇に存在するのではなく、国家そのものに存在する。天皇はその統治権の存在する国家の最高機関である。簡単に表現するとそんな考えなのだそうです。この学説が主張されるようになったのは1900年代以降です。ですから国体明徴声明が出される何十年か前の話になります。実際この学説はそれまで大日本帝国憲法の通説、世の中で広く受け入れられていた説でした。しかし陸軍出身の貴族院議員、菊池武夫(きくちたけお)がこの学説を反逆だと批判し衆議院と貴族院で天皇機関説を否定する決議がおこなわれました。菊地議員の天皇機関説への攻撃をきっかけにいわゆる右翼勢力や軍関係者が天皇機関説を否定する運動を起こします。この運動が強まり陸軍側からの働きかけもあって美濃部達吉さんの書いた憲法に関する著作が発売禁止になってしまいました。天皇機関説が教育機関で教えられることも禁止されてしまいます。美濃部さんは不敬罪の疑いで内務省から告発され取り調べを受けることにもなってしまいました。結果的には貴族院議員を辞めることにもなります。貴族院議員を辞める時に美濃部さんの「自説を変えるということではない」といった意味のコメントが新聞に載り、再び右翼や軍部からの反発が強まってしまって二度目の政府声明が1935年の10月に出されることとなりました。1936年に美濃部さんは右翼に銃撃もされています。幸いなことに命に別状はありませんでしたが。こうして一時は通説だった憲法学説が世の中から厳しく排除される結果となります。

スポンサーリンク

今回は天皇機関説事件と国体明徴声明について取りあげてみました。右翼や軍関係者の政治運動によって加えられる圧力に当時の政府が妥協する出来事ですし軍の政治に関する発言力が強まっていたことを示す出来事のようにも思ったのでこのテーマで記事を作ってみることにしました。天皇機関説でいう統治する権利は国家にあり、天皇は国家の最高機関だという見解は何故それ程反対される意見なのか正直よくわかりません。天皇機関説では最高意思決定という意味での主権は天皇にあると考えているようですし、統治権が国家にあるとしたところでそれ程不都合な話にはならないんじゃないかなと思います。ただ美濃部さんは内閣が議会から信任されなければ内閣は退陣しなければならないという意見を主張していたようで、議会を重視するこのような見解については政党政治を否定する勢力からすると邪魔だったのかもしれません。天皇機関説を排除することは議会の権威を低下させることにもつながるようです。しかし天皇機関説を攻撃する勢力の中には有力政党である政友会に所属する一部議員たちもいたそうです。自分たちの存在価値を重視する学説を否定する運動に一部の政友会議員たちが参加するというのは変な話ですね。軍人勅諭に「軍人は政治に関わらないように」とあるのに、陸軍パンフレットの問題と同様軍が政治に口出しをするということを憚らない点についても規律が大変に乱れているという印象をやはり持ってしまいます。現役の軍人でなければ政治活動しても構わないという風潮になってしまったんでしょうかね。天皇機関説を攻撃する運動には民間の右翼関係者や在郷軍人と呼ばれる予備役の軍人さんたちが参加していたそうです。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

この記事で出てくる天皇機関説について触れている話「美濃部達吉がとなえた天皇機関説とは?天皇主権説についても」はこちらです。

天皇の権限を陸軍の一部が侵した出来事に触れている話「柳条湖事件後の関東軍の動きと政府(若槻礼次郎内閣)の対応」はこちらです。

関連記事

ページ上部へ戻る