広田内閣当時の五相会議で決定された「国策の基準」とは?
「国策の基準」とは
「国策の基準 こくさくのきじゅん」とは西暦1936年(昭和11年)に広田内閣のもとで確認された日本国の目標や今後目標を達成するための外交や軍事、国内政策に関する基本方針のことです。この「国策の基準」は1936年の8月、広田内閣の五相会議によって内容が決められました。
五相会議
五相会議(ごしょうかいぎ)というのは五人の大臣(総理大臣、大蔵大臣、海軍大臣、外務大臣、陸軍大臣)による会議の事です。内閣の会議、閣議の一つということになるのでしょうがこのような呼び名が付いています。このような枠組みの会議は1933年に初めて行われました。海軍出身の斎藤実さんが首相をやっていた頃のことです。国策の基準が決定された1936年の五相会議に参加したのは広田弘毅(ひろたこうき)総理大臣、馬場鍈一(ばばえいいち)大蔵大臣、永野修身(ながのおさみ)海軍大臣、有田八郎(ありたはちろう)外務大臣、寺内寿一(てらうちひさいち)陸軍大臣の5名でした。
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「国策の基準」について
会議で決定された内容というのはそれ程長々と書かれたものではありません。日本が東アジアの安定勢力になって東洋の平和を確保し人類の安寧福祉に貢献し日本の理想を実現するといった内容の壮大な目標がまず掲げられています。その目標を実現するため、当面の日本の国策を東アジア大陸での日本の基盤を固めるということと南方の海洋に進出することとしています。更に基準となる方針が東アジアでの欧米列強の覇道政策を排除して共存共栄の考えに従い幸福を分かち合おうということや日本が東アジアの安定勢力という立場を確保するために日本の軍備をしっかりと整備することや日本や満州国の安全を保障するためソビエト社会主義共和国連邦の脅威を除去し欧米列強との友好関係に留意しながら英国や米国に備え日本、満州国、中華民国が緊密に連携して日本の経済発展を目指すということや他国を刺激しないように配慮しながら徐々に平和的に南方の海洋へ進出し経済的な発展を目指すこと、以上の4つとなりました。
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その方針の実現のため軍事面で陸軍の軍備はソ連が極東で動員できる兵力に対抗出来るようにしてソ連と開戦した場合即座に攻撃をおこなうことが出来るよう満州国、朝鮮半島に駐留する兵力をしっかりと整えることとしています。また海軍の軍備についてはアメリカ海軍を向こうにまわして日本が太平洋西側の制海権を確保できるような軍備を整えることとなっています。制海権というのはこの場合で言えば日本が軍事力によって確保することが出来る、一定の海域を自由に行動し管理制御できる実質的な権限のことです。その他外交、経済政策、行政機構、国民に対する措置(生活安定、体力増強、思想健全化など)、航空、海運業発展のための注力、外交機関刷新、情報宣伝組織の整備などについても簡単な表現で言及しています。
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今回は1936年の国策の基準について取りあげてみました。この国策の基準については陸軍が北進論(ほくしんろん)を海軍が南進論(なんしんろん)を主張し、どちらかを選択しもう一方を却下するということが出来なかったのか、結局両論を併記した内容となったことが有名なようです。その国策の基準というものがどんな表現の内容となっているのか知りたくなり今回取りあげてみました。あからさまなものではないのですが、列国(欧米列強の事ですよね)特に英国や米国の具体名が挙がっていて「英米に備え」といった表現でこれらの国を警戒している雰囲気がにじみ出るようなものになっていました。東アジア大陸で当時の日本に一番警戒されていたのはソ連ではあるようですが。また平和的に南方海洋に進出するとはいうもののアメリカ海軍を意識した軍備を整える必要を指摘している内容でしたのでこの頃には既にアメリカが仮想敵としてそれなりに意識されていたということがわかります。ただ欧米各国との友好関係に留意することも当時の基準内に書かれていますから米国に対し著しく強い警戒をしていたということでもないようです。吉田茂さんのような英国や米国と協調した外交を主張する人物が外務大臣であったならこのような内容の国策基準にはならなかったかもしれませんね。当時の外務大臣、有田さんは英米協調のような考えを持った立場の人ではなかったのだそうです。陸軍が広田内閣の組閣に大いに口を出したわけですし陸軍の意向が色濃く反映してこの「国策の基準」が決定されたというところでしょうか。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
アメリカやイギリスとの関係がさらに悪化する話「日本軍による北部仏印進駐とは?進駐した理由についても」はこちらです。
この記事で出てくる北進論とつながるような話「ソ連軍を想定して関東軍が満州でおこなった関特演とは」はこちらです。
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