ハルノートの内容を自分なりに簡単に説明してみました。

まずハルノートの内容を本当に簡単に

 

ハルノートには日本側に対するアメリカ側の要求がまとめて書かれていました。アメリカが重視する、以前から主張していた外交的な原則4つ(どの国の領土も侵さないようにしましょうとか、他国の国内問題に干渉しないようにしましょうとか、国家間の商売は一国が独占したりせず各国平等にチャンスを得ることが出来るようにしましょうとか平和のために国際協力しましょうといった当たり障りのない内容です)がまず書かれていて、その次に10項目の具体的な内容が盛り込まれています。10項目すべて取りあげると簡単に説明することになりませんので、重要な所を挙げますと当時(西暦1941年(昭和16年)11月)中華民国内に展開していた日本軍の部隊は全て中華民国から撤退するように、当時フランスの領土(植民地)だったインドシナ半島の一部の領域から駐留している日本軍は全て撤退するようにといった内容の要求や中華民国内の政権としては蒋介石(しょうかいせき)さんが率いる政権だけ認めて、日本が友好関係にある他の政権(汪兆銘政権おうちょうめいせいけん)は中華民国の正当な政権として認めないようにといった内容、日本がドイツやイタリアと軍事同盟を結んでいることを理由に太平洋地域でドイツやイタリアと戦争している国を相手に戦闘を起こさないようにといった内容が含まれていました。今書きました項目は10項目のうちの3項目です。この3項目を挙げたのは日本側が受け入れるのはとても難しい内容だったという点で重要だと思われるからです。この3点を本当に簡単に表現しますと、アメリカの求める地域から日本軍は撤退しなさいよ、どの勢力が中華民国の正当な政権なのかについてはアメリカの指示に応じなさいよ、ドイツやイタリアとの同盟を理由に太平洋地域で戦闘しないでくださいよということですね。以上自分なりにハルノートにある内容を簡単に説明してみました。もう少し説明した内容については次の項目で書いてみます。

 

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ハルノートの内容の補足

 

上の項目では10項目のうち重要と思う3項目を挙げています。他の項目はどうだったかというと多国間でお互いの国を攻めたりしない条約を結びましょうとか、インドシナ半島のフランスの植民地地域についてはフランスの権利をちゃんと守りましょうとか中国地域で各国が持っている一部の特権は(治外法権 中国内で外国人が犯罪をしたとしても中国人ではなく外国人の裁判官が裁判をおこなうことの出来る権利)もう持たないことにしましょうとか日米間の通商条約を再び結ぶための交渉をしましょうとか日米間でお互いの国の資産の凍結を解除しましょうとか日本とアメリカの通貨、円とドルの交換比率を安定させるための約束を結びましょうといった内容でして、日本側としてはむしろ喜ぶような内容も含まれていました。アメリカ国内の日本資産凍結が解除されれば日本はアメリカ国内の自国資産を自由に扱うことがまた出来るようになりますし、日米間の通商条約を再び結ぶための交渉をおこなうことは日本にとって必要なものをアメリカから輸入できることにつながる話ですので。当時日本はアメリカからの必要な物資の輸出をアメリカ政府から制限されていて本当に困っていました。以上ハルノートに記載されていた他の主な項目について補足してみました。

 

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ハルノートについてさらに補足

 

ここではもう少しハルノートについて補足します。ハルノートのハルというのは当時アメリカ合衆国で国務長官(日本で言えば外務大臣のような立場です)を担当していたコーデル・ハルさんの名前から来ています。ハルノートは1941年の11月に日本政府に提示されたわけですが、それ以前から日米間では関係改善のための交渉がおこなわれていました。しかしうまくいっていなかったんですね。交渉がおこなわれてきたものの、この時提示されたハルノートの内容は日本政府側が到底受け入れることが出来ない内容であったため、日本政府はアメリカとの関係改善を目的とした交渉を断念することになります。ハルノートにある要求を受け入れなければ日本がアメリカとの関係を改善できないよとアメリカの国務長官が言うのなら、日本政府は要求を受け入れるのは無理なのでアメリカとの関係改善のための交渉はもう無理だねと判断したということです。この後日本はアメリカやイギリスとの開戦へさらに向かっていくことになります。

 

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今回はハルノートについて取りあげてみました。この文書の提示が日米間の交渉を決定的に破たんさせることにつながるので、つまりは日米間の戦争につながる出来事であるわけですから非常に重要な出来事ですよね。当時、蒋介石さんが率いる政権と日本国は戦闘を続けていましたし、その戦闘に勝利するためにフランス領土のインドシナ半島に日本軍が駐留して蒋介石さんの勢力にアメリカやイギリスが物資を補給するのを阻止しようとしていました。アメリカの言うとおりに中国やフランスの領土であるインドシナ半島から日本軍を撤兵してしまったら日本は蒋介石さんの勢力に勝利することが出来ません。また日本が友好関係を結んでいた汪兆銘政権を正当な中華民国の政権として認めないというのは日本として信義に反することだったでしょうからそれも受け入れは難しいですよね。アメリカがどう働きかけをしたら日本との話し合いがうまくいったんでしょう。フランス領からの日本の撤兵と交換条件に鉄くずや石油などのアメリカからの輸出を即時再開するとか、日本に不利な形ではない状態でアメリカが蒋介石勢力に圧力をかけてアメリカが仲介して日本と蒋介石政権の戦闘を停止させるとかそういったことだったんでしょうか。何とか日米戦争を避ける方法は無かったんでしょうかね。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の話以前の日米交渉に関して触れている話「野村大使とハル長官による1941年4月の日米交渉について」はこちらです。

日米関係の悪化に拍車をかけた話「日独伊三国同盟とは?締結の理由やアメリカの反応についても」はこちらです。

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