諫早湾の干拓事業が企画された理由は何だったのでしょう

諫早湾の一部を干拓した理由

 

九州の複数の県に接する最大の湾としても有名な有明(ありあけ)海という海がありますが、その有明海に含まれる長崎県や佐賀県と接する湾の一つに諫早湾(いさはやわん)というものがあります。有明海の西側に位置するこの湾では国の方針ということで平成9年、西暦1997年の4月に干拓をおこなうため有明海の海水が決められた区域に入ってこないよう堤防の仕切りを閉鎖しました。この場合の干拓は諫早湾に存在する干潟(ひがた)、干潟というのは海の潮の満ち引きによって陸地になったり海面下になったりする領域のことですが、この干潟に有明の海水が入って来ないようにするため堤防を作って仕切り、一部の干潟を干上がらせて陸地にしたりする行為を意味します。このような堤防の建設、堤防の仕切りを閉鎖することによる干拓については賛成の意見ばかりではなく反対意見もそれなりにある中、事業が進められていったようです。国や自治体は反対の意見があるのに、どうして諫早湾の一部を干拓する計画を立て実行してきたのでしょう。時代によって目的は変化したという意見もありますが、干拓によって誕生した陸地を農業に利用して農産物の生産を増やしたかったからというものや、自然災害から地域の住民の方々を守る必要があるからといった理由が代表的なもののようです。干拓に反対の意見としては諫早湾の自然環境が破壊されてしまうといったものや非常に良質な漁場が無くなってしまうといったものがあります。

 

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農業用地にするため

 

もともとこの諫早湾干拓をおこなおうという話が出たのは1950年代でした。長崎県の首長さんが提唱したそうです。当時の日本国民の食料事情は厳しく現代の日本のように手軽に食材が手に入るような時代ではありませんでした。日々の食べるものに事欠くような状態を少しでも解決するために国内の食料生産を増やしていこうということで、そのための農地を増やす必要がありました。そこで諫早湾の干潟を堤防で干上がらせて陸地にし、そこに水田を作ってお米をいっぱい作ろうとしたわけです。しかし時代が移り変わり国外からの食料輸入も増え、お米を国内でそれ程増産しないでも国民の食料需要を満たすことが出来るようになり「干潟を干拓して水田を!」という意見は弱まったようですが、そのかわりに他の農産物を栽培して県の農業収益を増やそうという意見は根強かったようです。現在干拓した地域では計画通り農業生産がおこなわれていて一番多く作られているのは玉ねぎやレタス、ニンジン、キャベツといった野菜であり、その他では飼料作物もかなりの土地を利用して栽培されているようです。

 

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自然災害から住民の方々を守るため

 

諫早湾の周辺では干拓のための堤防が建設される以前、高潮や湛水によって多くの地域住民の方々が被害に遭っていました。この地域はもともと台風による被害が多かったそうです。台風が接近するような気圧が低くなる環境になると潮位が高くなり陸地に海水が侵入してしまう高潮(たかしお)という現象が起きる場合があります。地域住民の家屋で高潮によって浸水するような被害が出てしまっていました。諫早湾地域は集中豪雨が発生しやすい場所でもあり、そうなった場合、降った雨水が効率よく有明海に排水されていかず、長時間陸地が水浸し、湛水(たんすい 水をたたえている状態、水でいっぱいになっている状態)していたそうです。こうした自然災害の被害を軽減するためには諫早湾の一部に海水が入ってこないようにするための堤防を作ったほうがいいということで干拓のための堤防が建設されたそうです。この堤防の建設によって有明海の海水が本来高潮となっていたであろう状況の時にも陸地に侵入するのを防ぐことが出来るようになったそうですし、集中豪雨が発生しても大量の雨水を受け止める役割を果たす堤防周辺の調整池の存在で、陸地が水浸しになることが減り、住民の方々も浸水被害から守られるようになったのだそうです。

 

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今回は諫早湾の干拓事業について一部取りあげました。先日諫早湾干拓事業に関係した訴訟の判決が出されたというニュースを目にする機会があり、この干拓事業の話について私自身詳しくなかったため、そもそも何で反対意見がそれなりにあるこのような事業を国はおこなったのだろうと疑問に感じ、確認してみたくこのようなテーマで記事を作ってみました。1950年代に干拓の構想が持ち上がった際の食料難という事情は生きていくためにはなかなか他に選択の余地は無いくらい深刻なものだったのでしょう。また現代においても脅威となる水害から人々を守るために必要な手立てという点もこの事業の重要な目的であったことを知りました。その反面諫早湾を拠点にしていた漁業従事者にとっては生活の糧を奪い取られるような事業となりますから、それなりに反対意見が出てきてしまうのも無理のないことなのでしょう。ただ自然災害から人々の命を守ることにつながる事業を止める、中止するというのもそれはそれで問題となります。国がこの事業を推し進めてきたという事実は文字通りやむを得ないことだったのかなぁという気がしました。このような大規模な事業というのは恩恵を受ける人がいる一方で、割を食ってしまう立場の方々が出てきてしまうものなのですね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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