故事成語「木鶏」とは?読み方や意味、由来の話について

「木鶏」の読み方

 

故事成語「木鶏」は「もっけい」と読みます。素直な音読みをするとしたら「もくけい」かなと思いますが、「もっけい」が正しいようです。他に「ぼっけい」と読まれる場合もあるようです。正しい読み方は「もっけい」「ぼっけい」の二通りです。

 

「木鶏」の意味

 

「木鶏」は「強いことから敵である相手に対し全く動じない」という意味のようです。文字通りだと「木で出来た鶏の像」くらいの意味になるかと思いますが、実際の意味はだいぶ違うようです。

 

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「木鶏」が故事成語となった由来の話

 

この故事成語の由来は、中国の古典「荘子(そうし、そうじ)」の中に掲載されている話のようです。書き下し文を私なりに現在の言葉で表現したものを以下に示します。誤った所があるかと思いますがご了承ください。

 

ある国に紀渻子(きしょうし、きせいし)という人物がいました。紀渻子さんは国の王様のために闘鶏で戦うための鶏を育てていました。10日経過し王様が「そなたが飼っている鶏はもう戦えるか?」と尋ねてきました。紀渻子さんはその質問に対し「まだ戦えないですね。強くもないのにふんぞり返っていて気が強いようです。」と答えました。さらに10日経過し王様がまた「飼っている鶏はもう戦えるか?」と尋ねてきました。紀渻子さんはその質問に対し「まだ戦えないですね。鳴き声や様子に反応してしまいますから。」と答えました。

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さらに10日経過し王様がまた「飼っている鶏はもう戦えるか?」と尋ねてきました。紀渻子さんはその質問に対し「まだ戦えないですね。相手に対して敵意をむき出しにして見つめ、気が強い状態です。」と答えました。そして10日経過し王様がまた「飼っている鶏はもう戦えるか?」と尋ねてきました。紀渻子さんはその質問に対し「もうすぐ戦えるようになります。他の鶏が鳴き声をあげても、もうその声で様子が変わることもありません。見ていると木で出来た鶏の模型のようです。優れた性質であり完成されています。周りにいる他の鶏でこの鶏と対峙するような鶏はおらず、背を向けて走って遠ざかります。」と言いました。

 

以上のような話が古典、荘子に掲載されています。

 

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今回は「木鶏」を取りあげてみました。今回も故事成語の由来となった話が個人的に興味深く感じたので取りあげております。威嚇したり睨みつけたりするのではなく木の置物のような姿がかえって完成された闘鶏用の鶏の姿だというのは意外な気もしますし、本当に強い存在というのはそういうものなのかなぁ、などと感心するような気持ちにもなりました。確かに本当に強ければ相手を怖がらせるような態度をとる必要がそもそも無いものなのかもしれません。戦えば勝つわけですし、怖がらせて戦いを避ける必要もありませんから。結局勝つのは自分だから戦う前に特に何もする必要が無いというのが置物のように立っているだけである理由ということでしょうか。プロスポーツでは興行上客引き目的で相手を挑発することもあり、そんな光景をテレビで見ることもありますが、挑発するから弱いというわけではなくすごく強い場合もあります。ですから現実にはどういう態度だから強い弱いと決めつけることは出来ないような気も個人的にはします。本当に強い側が戦うのが面倒臭いという場合、威嚇し弱い相手が逃げてしまえば強い側の戦う労力を使う必要が無くなりますから威嚇すると便利なこともあるのかもしれません。しかし対戦競技などですごく静かなたたずまいだからということを理由に相手が弱いのではないかと軽く見るようなことは、このような故事成語もある以上お勧めできないような気がします。場合によっては恐ろしく強かったということになるのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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