二十一カ条の要求とは?要求を出した理由や中国政府の反応も

二十一カ条の要求とは

 

二十一カ条の要求(にじゅういっかじょうのようきゅう)とは西暦1915年(大正4年)に革命によって清国が亡んだ後に誕生した中華民国に対し当時の日本国政府が示した要求のことです。当時の二十一カ条の要求の内容の文書を見ると「中華民国」ではなく「支那国しなこく」という呼び名で中華民国を表現しています。当時の日本ではそのように中華民国を呼んでいました。この二十一カ条の要求を中華民国に要求した当時の日本の政権は第二次大隈重信内閣です。大まかには5つの分野に関する内容で、具体的には二十一項目にわたる要求だったため「二十一カ条の要求」と言われました。5つの分野とは第一次世界大戦以前にはドイツが租借していた山東半島地域の件、南満州、内蒙古東部地域の件、中国の有名な鉄鋼会社、漢冶萍公司(かんやひょうこんす)に関する件、中華民国の沿岸や島を他国に貸したり譲ったりしないよう求める件、中華民国の政府顧問として日本人を雇うことを勧める件、以上の5件です。この要求については中国大陸で日本が権益を拡大させて利害が衝突するのではないかという懸念が英国から出たようですし、中国大陸での商工業に関与する各国の機会を平等にするべきだとこれまでも主張していた米国からは、日本が出した要求の一部について強い反発があったようです。

 

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二十一カ条の要求を日本政府が出した理由

 

この時期に二十一カ条の要求を日本が出したことについては、第一次世界大戦でドイツと戦い占領した地域が中国大陸に存在していたことや、かつて中国大陸に存在した国、清国と日本が約束を交わした南満州地域の租借そしゃく、借りる契約の期限を日本が心配していたこと、このような広範囲の要求を中華民国に対して行ったとしても当時の世界で影響力の強かった欧州の列強国(イギリス、フランス、ドイツ、ロシア)は第一次世界大戦中ですからヨーロッパでの戦争の対応に追われ、東アジアに関する権益確保に十分力を注ぐ余力は無いだろうと日本政府が見ていたということ、以上のような理由があったという指摘があります。日本は第一次世界大戦に英国と同じ連合国側(イギリス、フランス、ロシア、アメリカなどからなる勢力です。相手側は同盟国と呼ばれていました)として参戦しました。参戦後中国大陸の山東省に存在していたドイツの支配地域からドイツ軍を排除するため日本軍は英国の軍と共同で作戦を行い、ドイツ軍と戦い占領することに成功しました。しかし世界大戦の結果によってはこの軍事行動で日本に対し多額の賠償金が要求されてしまう結果にもなりかねないという心配が当時の日本政府にはあったのだそうで、早めに中華民国と約束して日本が損失を被らないようにしようという考えがあったそうです。また南満州地域の権益については拠点となる地域を清国から借りる、租借する期限が1923年までということでかつて存在した清国と約束していました。日本国としては1923年以降も是非ともこの権益を南満州鉄道の使用権利と同様、維持したいという考えがありました。南満州鉄道の使用についてもそれまでの清国との約束では南満州鉄道の前身である東清鉄道開業から36年後に鉄道を買い上げる権利を清国が持っていました。東清鉄道は1903年開業だそうですから1939年には清国は存在しないものの、中華民国が買い上げる権利を主張することも考えられ、日本の手から鉄道が離れてしまう恐れがそれまではあったようです。

 

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二十一カ条の要求に対する中国政府の反応

 

当時の中華民国は日本側の要求に対しすぐ受け入れるようなことはせず、アメリカなどと接触を持ち、中華民国内、他国に向けて情報を広め日本に対する反感が強まるよう働きかけたようです。その後日本と中華民国側は交渉に入っていきますがこの交渉についても一度の交渉では決着がつきませんでした。結果的には20回以上の交渉が開かれたそうです。日本の要求全てに対して中華民国が受け入れるようなことはせず、日本政府も国内で元老や議会から日本人を中華民国政府の顧問として採用する件について反対の意見が出たようで、二十一カ条の一部、中華民国政府に日本人顧問を採用するよう求めた件などについては日本側が取り下げました。そのような日本側の譲歩の後中華民国は日本の要求を受け入れる結果となりました。

 

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今回は二十一カ条の要求について取りあげてみました。この項目を取りあげたのは第一次世界大戦の行われている間に起きた出来事として大変有名であったことや要求内容が現在の感覚、少なくとも私個人の感覚から見て問題があると感じたからです。日本国の利益を確保する、拡大するという考えからすればこのような願望を内心持つことはわからないでもありませんが、このような要求を相手からされて喜んで「はいわかりました!」と受け入れる国などあるはずもないでしょう。武力を背景に無理を要求したこのような歴史的事実ですが、当時の世界では欧米列強がそれよりもひどいことを過去に散々していたため、欧米列強から絶対反対という横やりも無く、ある程度日本の要求がまかり通ることとなります。欧米列強も日本も自国の利益の為とはいえ本当によくやりますね。中華民国の人たちが強く反発したそうですが、当たり前だと思います。当時の日本にこの二十一カ条の要求のようなことを求める国があれば日本国民はきっと許さないでしょう。日本国政府のこのような振る舞いが後の第二次世界大戦の大敗北につながったと決めつけることなど出来ませんが、個人的には少なからず関係しているんじゃないのかなという気がします。日本政府の増長、傲慢さを感じる出来事はこれまでもありましたが、この二十一カ条の要求も当時の日本政府の態度、姿勢をはっきりと示す出来事だったのではないでしょうか。自国を守るためという理由で外交、軍事的な行動をするとしても、一定の制限をかけなければ状況によっては何でもありということになってしまいかねないような気がします。この出来事は歴史の教訓としてよく知っておいたほうがいい話だと思いました。以下は要求された具体的な内容です。

 

山東省の件についてはドイツが中華民国国内で持っていた権益についてどうするか日本とドイツの間で話し合い、その協議で結論が出た場合はその結果を中華民国は受け入れる。中華民国は山東省や付近の島を他国に貸したり譲らない。山東省に存在していた鉄道につながる鉄道を日本が敷くことを許可する。外国人の居住目的などで山東省の主要都市を速やかに外国人に開くことなどが要求されました。南満州、内蒙古東部に関する件では大連や旅順を借りることの出来る期間、南満州鉄道を使用する出来る期間をそれぞれ更に99年間延長する。日本国民は南満州と内蒙古東部で商工業をおこなったり農業を行うために土地を借りたり所有する権利を得ることが出来る。日本国民は南満州と内蒙古東部を自由に行き来し仕事をすることが出来る。中華民国政府は南満州と内蒙古東部にある鉱山の採掘権を日本国民に与える。南満州や内蒙古東部で鉄道を敷く権利を中華民国が他国に与えたり鉄道を敷くための資金を他国に求めるようなことは日本政府の同意がなければならない。南満州や内蒙古東部で得られる税収を担保にして他国からお金を融資するようなことは日本政府の同意がなければならない。南満州や内蒙古東部で政治財政軍事の顧問を必要とする場合はまず日本国と協議すること。漢冶萍公司に関する件では今後適切な時期に漢冶萍公司を日中合弁の企業とすること。また日本側の同意なくこの漢冶萍公司の財産権利を処分しないこと。漢冶萍公司の関連鉱山の近くの鉱山については採掘を漢冶萍公司のみに許可すること。漢冶萍公司に影響のある措置を中華民国政府がとる場合、まず漢冶萍公司の同意を得ること。中華民国の沿岸や島を他国に貸したり譲ったりしないよう求める件については文字通りになります。中華民国の政府顧問として日本人を雇うことを勧めるなどの件については中華民国政府は政治財政軍事顧問としてその道に詳しい日本人を雇い入れること。中華民国領土内にある寺院、病院、学校についてはその建物の土地所有権を認めること。日本と中華民国の国民の間で警察が解決しなければならない事件が多く発生している。この際必要な地域の警察は日本と中華民国合同の組織としその地域の警察組織に多くの日本人を雇い入れ中華民国の警察組織の弊害を取り除き新しい体制とすること。中華民国の所有する兵器の一定割合は日本企業から供給するようにすること。あるいは中華民国内に日本と中国合弁による兵器工場を設立し日本から技師を雇い入れたり原材料の供給を行うこと。武昌と九江南昌を結んでいる鉄道、南昌杭州間、南昌潮州間に鉄道を敷く権利を日本に与えること。福建省で鉄道、鉱山、港湾に関し外国資本を必要とする場合はまず日本国と協議すること。中華民国で日本人が宗教を布教する権利を認めること。以上のような内容が中華民国政府に対し日本政府によって要求されました。尋常とは思えません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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