江戸時代に儒教が尊重されたのはなぜなのでしょう

江戸時代に儒教が尊重されたのはなぜなのか

 

慶長8年、西暦1603年徳川家康さんが江戸に幕府を開いて政治をしていくことになりますが、家康さんの周りには宗教関係者という立場のブレーン、助言するかたがおられたようです。臨済宗の、つまり仏教のお坊さんで金地院崇伝(こんちいんすうでん)というかたは有名なようで、大名が守らなければならない掟として有名な武家諸法度を作成するのにも大きく関わっていたそうです。しかし助言する立場の人は仏教関係者に限られていたわけではなく、儒教に詳しい人も幕府と強いつながりを持っていました。林羅山(はやしらざん)という儒教の学者さんが家康さんに重用され、それを契機に江戸時代中、林さんの家系の方が代々儒教の専門家として幕府に雇われていました。大学頭(だいがくのかみ)という役職に就いて幕府が運営する昌平坂学問所という当時の高い水準の教育機関を管理していたそうです。幕府は儒教の学問をおこなう場所をわざわざ運営し保護していたわけです。幕府が存在していた以前の時代、室町時代は仏教のお坊さんが儒教の学問をしていたそうですが室町幕府が率先して儒教の学問を奨励したとか儒学者の活動を支援したような話はあまり耳にしません。江戸時代はなぜ儒教を尊重するような政策をとることにしたのでしょう。よく挙げられるのは主君と家来といった上下関係を大切にする教えだからというものです。他には他宗教の影響力を弱めるためといった指摘もあるようです。

 

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既存の秩序を大切にしているから

 

儒教の教えで大切だとしている「ありかた」として五倫(ごりん)というものがあり、親子の関係、主君と臣下の関係、夫婦の関係、年長者と若い者との関係、友人との関係について定めており、主君と臣下、家臣の間に関しては主君に対し臣下、家臣は忠誠の姿勢を保つことが非常に重要なこととされています。戦乱の世を平定し幕府を開くことが出来た徳川家ですが、そのような秩序が破られればまた混乱した世の中になってしまいます。幕府が全国を治めるという秩序を出来るだけ長く維持するためには儒教が言っているような立場の上下をしっかり守るという教えが非常に合っていると言えます。戦国時代は下の立場の者が主君を追い落とし領主の座に就くようなことが珍しくなかったようですけれど、このような下剋上的行為は儒教の価値観から言えば大変良くない振る舞いでした。儒教の価値観が広がることによって上の立場の者を凌ぐという価値観が弱まることに繋がりますので徳川家による統治を安定させることにつながります。

 

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他の宗教の影響力を弱めるため

 

江戸時代が始まった頃はキリスト教を禁止した状態ではなく、国内に一定規模のキリスト教信者が存在し熱心な布教活動がおこなわれていました。状況にもよるのでしょうがキリスト教信者にとっては今自分が身を置いている世の中の秩序、世の中が求めてくる価値観よりもキリスト教の神様の示す価値観のほうが更に重要だと判断することはあり得ないわけではありません。キリスト教信徒の影響力の拡大や大名がキリスト教を信仰するような流れを抑えるため、江戸幕府は儒教を尊重し、特に武士の階層に属する人たちに儒教に基いた道徳、人が行動するにあたっての基本的な規則を取り入れさせようとした。そのような指摘もあるようです。また幕府はキリスト教だけを警戒していたというわけではなく、戦国時代に軍事力を持った勢力となることもあった仏教の教団についても政治に関与させないために寺院法度(じいんはっと)のような仏教のお寺の人たちが守らなければならない規則を作っています。

 

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今回は江戸時代に儒教が保護されることになった理由を取りあげました。江戸時代の制度に合っているからという説明はこれまでも聞いたことがあるのですが、儒教が尊重することがそんなに秩序の維持に影響してくるものなのかよくわからない所もあってこのようなテーマで記事を作ってみました。結局幕末には朝廷の軍ということで長州や薩摩の勢力が幕府と戦うことになりましたから本来規定されていた主君(江戸幕府将軍)に長州や薩摩は刃向ったわけです。儒教の教えが武士勢力の心を徹底してコントロールしていたというわけではないということになりますが、こういったことを理由に江戸幕府の安定に儒教が貢献しなかったと言えるわけでもないのでしょう。お侍さんたちの心を儒教的な価値観で制御しようとしたことは以前の時代に存在していた幕府に比べてやはり用意周到な感じがします。統治を安定させるためには、武士階級のような力のある階層に属した人々の心をコントロールすることにも気を遣うものなのですね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

家康さんが主君だった豊臣家を滅ぼした出来事に関連する話「大坂夏の陣と冬の陣とではどっちが先だったのでしょう」はこちらです。

江戸幕府のキリスト教に対する姿勢について触れている話「江戸時代にキリスト教が禁止された理由は何なのでしょう」はこちらです。

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