足利義政さんはなぜわざわざ銀閣を建設したのでしょう

足利義政さんはなぜ銀閣を建てたのでしょう

室町時代の歴史に関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりに室町幕府の将軍を担当した人物、足利義政さんがなぜいわゆる銀閣(ぎんかく)を建設したのかについて書いてみたいと思います。銀閣と呼ばれる施設、慈照寺(じしょうじ)という禅宗のお寺の「観音殿 かんのんでん」という建物は現在の京都市内の左京区に存在しています。慈照寺の建物が建設され始めたのは文明(ぶんめい)十四年、西暦1482年だと言われているそうです。京なども舞台となり、長く続いたいくさ、応仁の乱(おうにんのらん)が終了して5年経過した頃です。話によると建設のための費用は地域の人々に臨時の税負担を課すことによって捻出したり、様々な場所から樹木、石などを持ち出したと言われているそうで、かなり強引に建設を進めたようです。多くの人々を巻き込む形で造った慈照寺や銀閣。義政さんはなぜそのような施設を建設しようとしたのでしょう。室町幕府の権勢が非常に強かった頃の先祖にあやかる、自分もそのような存在となりたいと願ったからといった見方が多いようです。また政治の世界から距離を置き趣味などの自分の世界に幸福を見出そうとしたからといった指摘もあるようです。

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すごかった先祖のように

足利義政さんは先ほども触れましたが室町幕府の将軍経験者です。第8代将軍でした。慈照寺を建設し始めた頃は既に自分の息子さん、足利義尚(あしかがよしひさ)さんに将軍職を引き継がせています。義政さんが将軍を担当していた頃の室町幕府は以前に比べ国内で指導力をあまり発揮することが出来ていなかったようで、国内が混乱する応仁の乱も発生してしまいました。しかし室町時代全部がそういった混乱した時代だったかというとそういうわけではなく、かつては国内の武将をしっかりまとめあげることが出来る非常に影響力の強い時期もありました。第3代将軍、足利義満(あしかがよしみつ)さんの時代は特にそういった強い影響力を持つことの出来た時代でした。様々な地域の武将を制圧し、穏便にと受けとめるかどうかは人によるかもしれませんが南北朝に分かれてしまっていた朝廷を一つにまとめるような業績も残しています。また中国大陸の大国、明(みん)と貿易をおこない経済的な利益もたくさん獲得していました。政治的に非常に強い権限を保有していた義満さんにあこがれたために、義満さんが金閣寺を建設したように自分もそのような施設を作ろうとした、そういった指摘は多いようです。義満さんは義政さんの祖父にあたるかたです。

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自分の世界で生きたい

義政さんは室町幕府の将軍という、政権のトップの立場だったかたですが、政治の実務は補佐役の管領(かんれい)職のかたなどが引き受け、義政さんもまかせることは多かったようです。将軍の意向には絶対服従といった統制のとれた時代ではなく、将軍が有力な守護、将軍の家来にあたる人物に殺害されてしまうようなことも発生してしまうような状況でした。指導力を発揮するのが難しい時代だったからなのか義政さんもあまり政治に関心を持たなくなってしまったようです。また影響がどれほどだったのか何とも言えませんが、義政さんの妻である人物、日野富子という人は義政さんに比べてよっぽど政治に介入しようとしたそうで、それを理由に一層義政さんは政治の世界で主体性を発揮しづらくなったとも言われています。政治で活躍出来ないのなら趣味などの自分の世界に没頭しようということで隠居し別荘として慈照寺にあたる建築物を建設して引きこもろうとした、といった見方もあるようです。別荘として建てられた建築物は義政さんが亡くなられた後に慈照寺というお寺にされることとなります。

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今回は足利義政さんが作った建築物について一部取り上げました。銀閣については社会や歴史の授業で出てくる有名な建物だったこともあって私も知っていましたが、そのような建物をどうして作ったのかについては習ったり聞いた記憶が無く、よくわかりませんでした。銀閣という割には銀色の建物でもありませんし、そういった点で疑問もありましたが建設された理由について確認してみたく今回のようなテーマの記事を作ることとしました。ちなみに銀閣などと人々が言うようになったのは室町時代よりも後の時代の話だそうで、別に義政さんが銀閣と名付けたわけではなく、元々銀箔を貼る予定など無かったなどという話もあるそうです。慈照寺の観音殿を見ると確かに派手さ、豪勢さを追求したような建物には見えません。個人的な感想としてはあの建物に銀箔を貼ったら全然合わないような気もします。地味、比較的簡素、ひっそりとした雰囲気、そんな印象を持ちました。隠居して引きこもるというのには合った雰囲気なのかもしれません。わざわざ人々から税を徴収して隠居する場所を作るというのはどうなのかなという気もしますが、政治の世界で思うように活躍出来なかったので趣味の世界で幸せを見出そうとしたといった心の動きに関する見方についてはわからないわけでもないなぁと感じます。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の写真はチョコ太郎さんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。

足利義満さんがかかわる南北朝の統一について触れている話「日本の南北朝を統一させた人物は誰だったのでしょう」はこちらです。

室町幕府の重職について触れている話「室町幕府の管領(かんれい)とは何なのでしょう」はこちらです。

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