京大が混乱した滝川事件とは?立命館大学の関わりについても

滝川事件とは

 

滝川事件(たきがわじけん)とは西暦1933年(昭和8年)に京都帝国大学の法学部で教授職にあった滝川幸辰(たきがわゆきとき)さんが日本政府の教育行政担当であった官庁の文部省(もんぶしょう)から休職処分にされたという出来事です。滝川さんは帝国大学の教授という立場で講演をしたり、本を執筆したり、司法試験の委員をしていました。ある大学を会場とした講演で滝川さんはロシアの小説家として有名なトルストイの価値観と刑法に関する話をしていた中で、犯罪は国の組織に問題があるから発生するというのに、犯罪をおこなった者をその国が処罰するというのは辻褄が合わないといった内容の話をしたのだそうです。この講演を聴いていた人たちの一部から滝川の話した内容というのは無政府主義なのではないか?と疑念を呈する人が出たそうです。この件に関しては文部省も注目しました。無政府主義というのは個々人の自由を最も尊重するべきだと考え、そのためには国家権力や従来社会に存在してきた権威、例えば多くの人々の心のよりどころとなってきた君主制度や宗教などというものは否定されるべきだと判断します。そのような思想のため皇室制度を大変大切にしている日本のような国家では恐ろしく危険な考え方だと見なされていました。また当時共産主義勢力を支援したという理由で様々な地方裁判所の裁判官など裁判所関連職員の中から逮捕者が出てしまうという出来事が起こっています。司法官赤化事件(しほうかんせっかじけん)と呼ばれた出来事です。この出来事があった後共産主義を支援するような裁判官たちが生まれてしまった理由は彼らが学んだ帝国大学に共産主義を信奉するような問題のある教授陣が存在するからだと主張する人が出てきました。

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また滝川さんは著作の「刑法読本」の中で内乱罪に触れた際、国家の基盤を破壊する内乱罪という罪を犯した者の動機自体は否定されるべきではない。内乱罪を犯した者たちは人類にとってより良い社会を作ることを目的に実際の社会を破壊しようとしてるのであり・・・といった内容の話を記していたそうです。講演で話した内容に加え、著作内で書いている内容に問題があると判断した内務省は1933年4月に「刑法読本」を発禁処分としました。そして1933年5月に文部省は滝川さんを休職させるという処分に出ました。この時の文部大臣は鳩山一郎という人でした。この出来事は大学の自治を弾圧したという理由で一部から非常に問題視される結果となりました。大学の自治についてですが、大学というのは本来外部から大学の組織や大学の管理、大学での教育について干渉を受けず(とやかく言わせず)、大学関係者たちが会議をおこなって自分たちで決めて運営するものなのだそうです。それを今回は京都帝大の法学部教授の立場である人を京大教授陣の意見を踏まえずに勝手に休職処分にしたということで大学の自治が当たり前という考えの人たちは「とんでもない!」と反発しました。

 

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立命館大学の関わり

 

滝川事件が発生したことでこのような処分に怒った京都帝国大学関係者たちがたくさんいたようで一時は30人以上の法学部関連教官が辞表を提出する事態になってしまったようです。結果的には滝川さんを含めた一部の法学部教授の辞表を大学側が受け入れることとなり、それら教授など教官だった人たちは京都帝国大学を去ることとなりました。京都帝国大学を辞めた教官の人たちの多くが移動した先は立命館大学でした。滝川さんも立命館大学で講義を担当するようになったのだそうです。このような人材の移動については時の元老、昭和天皇の重臣であった西園寺公望(さいおんじきんもち)という人や立命館大学の総長クラスの人たちの意向が影響したそうです。立命館大学側は京都帝国大学法学部の教育者たちが来てくれたことを歓迎しました。

 

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今回は1933年の滝川事件を取りあげてみました。思想弾圧の象徴として取りあげられることが多い出来事のようですし、どういったことが理由で処分されることになったのか関心もあって調べてみることにしました。この滝川さんという方は日本史の教科書的には自由主義的な立場として紹介されていることもあるようですけれど、この方のどこら辺が自由主義的な立場なのかということは今の段階では個人的によくわかりません。「刑法読本」の内乱罪関係の話やトルストイ関連の講演で話した犯罪に関するとらえ方の部分だけではちょっと「彼の主張は自由主義」と判断出来るほどの根拠なのか何とも言えない気がしますし。ただ意見の分かれるところなのかもしれませんが、私個人としては内乱罪を犯す人の動機自体を退けるべきではないという点については全然滝川さんに賛成できません。内乱を起こす人たちの動機内容がより良い社会をつくるためと見なすのはあまりにもお人好しな物の考え方なんじゃないでしょうか。一部にそのような善良な人物もいるかもしれませんが、悪質な、大変利己的な理由から行動を起こす輩もいるような気がします。あくまで個人的な意見ではありますけれど。私の意見がこんな感じですから当時の処分した立場の日本政府側の対応に関しても共産主義、無政府主義を非常に警戒するあまり、こういった対応になったんだろうなと全否定する気には正直なれませんでした。油断していたら日本が共産主義の国になってしまうという危機感は現代とは比べものにならなかったでしょうから。ただ常識的な範囲内で大学の自治は認められるべきだとは思いました。その常識的範囲が人によって様々でしょうから難しい所ではあるのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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共産主義インターナショナルの狙いに対抗する話「日独防共協定とは?協定を結んだ目的や協定内容についても」はこちらです。

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