伊藤内閣と民党が対立する第4議会中に出された建艦詔勅とは

建艦詔勅とは

 

建艦詔勅(けんかんしょうちょく)は西暦1893年(明治26年)に明治天皇が内閣と議会に対し公式に出された意思表示の一つです。皇室にかかる費用を節約することや役人の給料を削減するなどの提案をもって、予算の成立に関し内閣と議会が協力するように求めるという内容でした。

 

この詔勅が出された理由は

 

西暦1892年(明治25年)11月から第4議会が開かれることになりましたが、来年度、明治26年度の予算について政府側と議会の多数派との間で意見がぶつかりました。政府側が通したい予算案では予算全体の額が多すぎるという理由で議会多数派の反対に遭いそのままでは衆議院を通過せず、政府が出した予算案から約10%をカットした変更案が衆議院で可決されました。

しかし衆議院で変更された案は海軍の重要な事業である軍艦建造の費用を全部削除するという政府側としては受け入れがたい内容でした。軍艦建造の予算を何とか確保したい政府は自分たちで議会側に予算の必要性を説明しても納得してもらえなかったため、明治天皇にこの件で対立する政府と議会に協調するよう求める詔勅を出していただきたいと要請しました。この政府側の求めによって明治天皇が詔勅を出されることとなります。

 

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議会側はなぜ政府予算案に反対だったのでしょう

 

議会が開設されてから衆議院の多数派を占めることの多かった立憲自由党や立憲改進党といったいわゆる民党勢力は政費の節減や民力休養を公約に政治活動をしていました。これは政府が使うお金、つまり予算を出来るだけ少なくして、減らすことが出来た額だけ国民に課す税金を安くしようということです。議会の多数派は国民の税金を安くしようと一生懸命だったわけです。

政府側が出してきた予算はかなりの額となってしまっており、国民に対する増税を前提とした内容だったそうです。少しでも税金を安くしたい議会多数派としては、増税しなければならない予算案に反発せざるを得なかったようです。

 

政府側はなぜ衆議院で変更された予算案を受け入れられなかったのでしょう

 

政府側が海軍増強にこだわったのは当時の東アジア情勢が理由だったようです。簡単に言えば日本と朝鮮国、日本と清国の関係が悪化していたため、もし清と戦争するような場合を考えると日本海軍の軍備をもっと強化しなければならない、そう政府は考えていたようです。

この第4議会が開かれた西暦1892年の11月から1893年の初めころの時期は、清国を後ろ盾とした当時の朝鮮国政府と日本が1889年から表面化した穀物輸出に関する貿易問題で対立を深めていたようです。武力を背景に日本は朝鮮国に賠償を求めたそうで、場合によっては朝鮮のバックにいる清国と戦争するということも日本政府は想定していたのでしょう。

 

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詔勅で述べられた具体的な節減内容は

 

皇室関連の経費を節約することで毎年30万円を6年間ねん出し、国の役人の給料も10%削減する。そのお金を軍艦建造費用の補足として充てるという内容が詔勅の中にあります。皇室と政府がそのような節約の努力を行うから、議会側も海軍の軍艦建造予算確保のために協力してほしいということです。

この詔勅が明治天皇から出されたことにより立憲自由党、立憲改進党などの民党側も新艦建造費用が含まれる政府側の意向が反映した新たな予算案に賛成することとなりました。明治26年度の予算案はこうした紆余曲折の後議会を通過しました。

 

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今回も初期議会について取りあげています。この第2次伊藤内閣当時に開かれた第4議会については予算を巡って政府と議会が対立し、結局明治天皇の働きかけで予算問題が解決したという出来事が大変有名なようですので今回はこの項目で記事を作ってみました。

前の内閣、松方正義内閣では議会の要求通り予算額が政府側の提案した額から削減されて衆議院を通過しました。これに不満な海軍大臣が衆議院議員から反発される発言を議会で行い衆議院解散のきっかけとなっています。国の予算というのは波乱を起こす材料だったのですね。これは初期議会において特にそのような傾向があるのでしょうか。

政府が1893年、明治26年度の予算で軍艦建造費確保にこだわった理由ですが、1894年には日清戦争が始まるんですよね。1893年初頭の時点で政府から見れば清国との戦争が相当現実味を帯びていた、ということなのかもしれません。本来ならば極力明治天皇が政治に関与するのを回避させたいと考えるであろう政府が、天皇の力を借りてでも軍艦を作らなければならなかった、ということなのですから。政府も相当切羽詰まっていたのかもしれません。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載した写真に関係はございません。ご了承ください。

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