日宋貿易の輸入品や輸出品にはどんなものがあったのでしょう

日宋貿易の輸入品と輸出品

平安時代、鎌倉時代の歴史に関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりに昔の日本が中国大陸の国、宋(そう)とおこなった貿易、日宋貿易(にっそうぼうえき)でどのようなものを輸入したり、輸出していたのかについて書いてみたいと思います。他の時代におこなわれた中国大陸の国との間の貿易の時の輸入品、輸出品と重複するところもあるかと思いますが、まずは一通り挙げていきます。まずは輸入品から。宋から輸入していたものとして宋銭(そうせん)、銅で造られた宋の貨幣や食器などの陶磁器、絹織物、綿織物といった繊維製品、書籍、薬、香料、絵などの芸術品、珍しい動物などがあったそうです。そして日本から宋に輸出したものは金や銀といった貴金属、水銀、硫黄、木材などといった製品を作るための原料となるものや、真珠、加工された製品としては漆器や刀剣などがあったと言われています。

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輸入品

日宋貿易がおこなわれた時代、宋からは大量の銅の貨幣、宋銭が輸入されたことはとても有名なようです。この宋で作られた貨幣が日本国内でも流通し、物々交換されていたのが普通であった当時の日本に変化をもたらしたようです(ただ貨幣の流通はその後盛んになり続けたということではありません)。かつて古代の日本でも和同開珎が作られるなどして貨幣の流通を拡大するよう中央政府が力を入れた時期もありましたが結局うまくはいかなかったようです。そういった失敗例もあった中、他国で作られた貨幣、宋銭は日本の商取引で使われることの多い貨幣となりました。陶磁器については中国大陸で宋という国があった頃、焼き物の技術が発達したそうで日宋貿易では白磁(はくじ)と呼ばれる種類の陶磁器が輸入されました。表面が白く、うわぐすりが塗られている焼き物で、高い温度で焼かれ硬い製品という特徴があります(日本では朝鮮半島の技術者が朝鮮出兵の際に日本に連れて来られた後に技術が伝わり有田焼などの白磁が江戸時代の初め頃から作られるようになりました)。絹織物は元々中国大陸で作られるようになったものが世界の各地域に伝わっていったのだそうで、本場ということもあって質の高い製品が作られ評価も高かったようです。宋の時代の中国大陸では綿織物が作られていたそうで、日本ではおもに戦国時代以降に綿織物が生産されるようになる品物のため、平安、鎌倉時代の日本では輸入品の綿織物が評価されていたようです。

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輸出品

日本から宋に輸出した品物としては金が有名です。中国大陸で金が産出される重要な地域を他国が支配していたこともあって宋にとっては日本から輸入される金が貴重だったようです。日本の東北地方で産出された砂金などが輸出されていました。水銀も輸出されたのだそうですが、水銀は宋で塗料の原料として重宝されたそうです。また木材も輸出されたそうですが、宋では資材としての木材が大量に利用されていたので、宋の領土内の木がたくさん切られていたそうです。需要が多かったので日本からの輸入木材も利用されることとなりました。また硫黄は火薬の原料として必要とされていました。宋は大陸の北方に勢力を持つ別の国、金(きん)と戦ったりもしていましたし軍需物資を確保しなければなりませんでしたので、日本の硫黄はそういった事情からも貴重だったようです。日本の刀が輸出されたのも芸術品として好むかたもいたのかもしれませんが武器として利用するという目的があったのでしょう。

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今回は日宋貿易の輸出入品について取り上げました。平清盛さんが日宋貿易を盛んにおこなっていたことが教科書に書かれているのを見て、この件に関する記事を書いて見たかったのですが、輸出入品にどのようなものがあるのかについて一般的に関心も持たれているようでしたのでこのようなテーマの記事にしてみた次第です。日本から輸出される金については中国大陸で有名だったようで後に台頭する蒙古民族の国、元も日本で産出される金については非常に興味を持っていたという指摘もあるようです。中国から絹織物、綿織物を輸入していたという件については意外な気もしました。日本でそのような品物が生産され他国に輸出して利益を得るようになるのは日宋貿易が盛んとなった平安や鎌倉の時代ではなく後の時代のことのようです。平家はこのような中国大陸の南宋との貿易によって大きな利益を得ることとなり、その経済力は政治の世界で影響力を拡大させることにもつながりました。当初はおもに北九州で貿易がおこなわれていたのを清盛さんが現在の兵庫県神戸にあたる場所で港を整備したり、航路を整備したことで瀬戸内海にも貿易船が出入りすることとなり貿易が更に活性化したようです。そういった整備のための工事をすることが出来るということからも当時の平家の人々に相当な経済力があった事がうかがえるように思います。以前別の記事でも取りあげましたが清盛さんは有名な厳島神社の宮の修築をおこなったりもされていますし、相当な費用を負担することのできる立場でした。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

江戸時代初期の貿易について触れている話「江戸時代のポルトガルとの貿易はどうなっていたのでしょう」はこちらです。

江戸時代末期の日本の貿易について触れている話「日米修好通商条約後の貿易品の内容や貿易の影響について」はこちらです。

織田信長さんの他国との関わり方について触れている話「信長さんがキリスト教保護の立場だった理由は何なのでしょう」はこちらです。

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