転向とは?一部共産党員の動きや国家社会主義についても
転向とは
転向(てんこう)とは、それまでの進路、方針や仕事、好むものを変更することを意味しますが、その他にも支持する政治的な考え、思想、支持する政治勢力を変えることや、社会主義者や共産主義者が政府から圧力をかけられて、支持してきた思想を否定する立場になるというような意味もあります。西暦1931年以降の日本では政治的な立場を変えるという意味での「転向」がしばしば世の中で取りざたされたようです。
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共産党員の転向という動き
政治的な立場を変更するという意味での転向で大変有名な事例の一つは1933年(昭和6年)の共産党員の転向です。1932年に治安維持法違反で逮捕され無期懲役の判決が出て刑務所で過ごしていた佐野学(さのまなぶ)という共産党の中央委員長だった人と1929年に治安維持法違反で逮捕され無期懲役の判決が出て服役していた共産党の組合部長という立場にあった共産党幹部の鍋山貞親(なべやまさだちか)という人が1933年6月に獄中から共産党と決別する内容の声明を出し、それが公表されました。共産党の幹部がこのような表明をしたことでそれ程期間が経過しない時期に他の共産党幹部からも転向を宣言する人が続出したようです。声明の中で佐山さんと鍋山さんはコミンテルン(共産主義インターナショナル、世界中の共産主義政党で構成される国際組織です)を日本の皇室制度を否定し日本民族の特徴や特殊性を理解しようとしていないという理由で批判しています。日本共産党はコミンテルンの強力な支援によって活動を継続してきました。そのような拠り所でもある組織を日本共産党の幹部が批判したということで声明は驚きをもって世の中で受け止められました。
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国家社会主義に傾く一部無産政党関係者
国家社会主義という社会主義の一つに分類される政治思想があります。定義をするのはなかなか難しいのですが、国家社会主義は共産主義の国に見られるような私有財産の否定は無く、私有財産を認め、国が強力な指導力を発揮して政治や経済をコントロールして各階層に公平に富を分配するなどして資本主義のゆがみを正すような考え方のようです。この考え方には前提として国家主義(国という枠組みが最も大切であるという考え方で国家が個人の権利よりも優先されるべきと考えるようです。)が含まれているようでソビエト連邦のようにソビエト共産党がソビエト社会主義共和国連邦という国よりも優越した存在となるような仕組みを強く否定するようです。このような国家社会主義ですが、無産政党(むさんせいとう 合法的な社会主義政党をこのような名前で戦前呼んでいました)の関係者が国家社会主義を支持するようになっていくという流れが満州事変以降強まったという指摘があります。当時無産政党の一つに社会民衆党という政党がありましたが、この政党の幹部だった赤松克麿(あかまつかつまろ)という人は社会民衆党の他の幹部が国家社会主義に反対の意思表示をしたり、軍との関係を強めようとした赤松の動きを批判したことなどをきっかけに党を離れます。その後日本国家社会党という国家社会主義の政党を作ることとなりました。また社会民衆党自身もそれまで日本の対外政策について満州地域を保護領化していると見なし批判していた時期もあったようですが、満州事変以降は日本側の満州地域での行動をあからさまに否定するようなことも無くなっていったようです。日本の外交政策に関する主張を変えず批判し続けた無産政党ももちろんありましたが、意見が変化する政党も出てきました。
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今回はいわゆる左派の人たちの一部に見られた立場の変更、転向について取りあげてみました。本来強い信念で、支持する政治思想に基づいた行動を続けていたであろう人たちが考えを変えたのは何故なのか理由がよくわからなかったので転向について調べてみようと思いました。佐野さんや鍋山さんが支持する立場を変えたのは服役していた、刑務所で過ごしていたという点が強く影響したんでしょうかね。コミンテルンに金銭面などで支援を受けながら逮捕されずに普通に世の中で活動していたら自分たちの思想を改めて批判的に見つめ直すという機会はそんなに無いのではないでしょうか。今回調べていた中で逮捕されていない共産党関係者も転向したという話は目にしませんでした。単にそのような事例を知らないだけなのかもしれませんけれど。服役している間治安当局の関係者は佐山さんや鍋山さんのような人たちにどのように関わったのだろうかという点が気になりました。精神的、身体的な圧力がどれくらい加えられていたものなのか、そのようなことは特になかったのか、ちょっとわからないですね。記事を作っていて一部無産政党の主張内容が変化したという話を知る結果となりましたが、このような主張内容の変化は官憲の圧迫が理由ということではないのでしょうね。変更する以前の主張をおこなっていて党の活動を政府から禁止されてしまったわけではないですし。日本が他国の武装勢力と戦うような事態になると一部無産政党のように自国の利益を守ることを重視する意見へ変化していくようになるのは何となくわかる気もします。自分の国ですから。そうなると客観的な視点は薄れていってしまうものなのかもしれません。マスコミの論調も有事になれば煽る方向に動くことが多いように思いますし、そのようなときに冷静に状況を判断するというのはなかなか難しそうですね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
日本に共産党が作られた時の話「日本共産党の結成とは?コミンテルンや堺利彦さんについても」はこちらです。
全体主義だと私は感じる石原莞爾の主張の一部に触れている記事「柳条湖事件とは?事件を起こした理由や石原莞爾についても」はこちらです。
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