奥羽越列藩同盟とは?なぜこの同盟が結ばれたのかについても
奥羽越列藩同盟とは
1868年(慶応4年)の5月、東北や北陸に存在していた諸藩が結んだ同盟です。まず4月に東北地方の諸藩の間で同盟を結ぶ機運が高まり、奥羽(おうう)諸藩の同盟が成立します。(奥羽は今の青森県、岩手県にあたる陸奥むつの国と今の秋田県、山形県にあたる出羽でわの国を総称する呼び名です)間もなく越後の6つの藩も合流し、最終的に奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟となりました。30を超える藩が参加していたようです。
この同盟には「盟主」という名前のトップが存在しました。大きな藩の殿様が就いたのではなく皇族の方が就任しています。輪王寺宮公現法親王(りんのうじのみやこうげんほっしんのう)という出家されていた方でした。総督という立場には仙台藩や米沢藩といった大きな藩の藩主が就任しました。
朝廷側との戦闘は様々な場所で行われます。その後総督となっていた藩主の治める仙台藩、米沢藩が朝廷側に降伏し9月には同盟に参加していた藩が全て降伏する結果となっています。
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なぜ奥羽越列藩同盟が結ばれたのでしょうか
奥羽越列藩同盟が結ばれた理由は各藩により事情が異なってくるようですが、東北の諸藩が結束をした理由は会津藩や庄内藩といった江戸幕府に貢献していた藩への朝廷側の姿勢が非常に厳しかったからだったようです。
実はこの同盟が結ばれる以前朝廷側からの指示があり同盟の一角となった仙台藩はこの時会津藩を討伐するようにとの命令を受けて会津藩の国境まで兵を進めたのだそうです。しかしその間も仙台藩や米沢藩は会津藩と協議し会津藩が謝罪することで朝廷側と戦争にならないで済むよう努力していました。
こういった藩は東北地方に派遣された朝廷側の軍の責任者に会津藩や庄内藩へ寛大な対応をしてほしいと要望したりもしています。しかし朝廷が派遣した軍の責任者に要望は受け入れられず、とうとう朝廷側の命令であった会津討伐のための兵を仙台藩などは撤収させることにしました。
派遣された朝廷の責任者に嘆願しても聞き入れてもらえないなら朝廷に直接意見申し立てしようという流れになり、ならば藩単独よりも東北の諸藩が結束したほうが朝廷も耳を貸してくれるのではないかということで藩同士が盟約を結ぶこととなりました。
以上、東北の諸藩が同盟を結んだ理由は朝廷側から会津藩や庄内藩が非常に厳しい処分を出されていたのを寛大な内容に変更して欲しかったから、ということのようです。
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越後の諸藩は事情が異なるようです。奥羽越列藩同盟に名前を連ねた長岡藩は当初朝廷側の軍にも東北側の勢力にも加担せず中立の立場でいようと考えていたようです。その考えを朝廷側の軍と協議しましたが、朝廷側はそのような長岡藩の中立を望む態度を認めませんでした。話し合いの過程で朝廷側の軍に反感を持ったのか長岡藩は東北諸藩の同盟に加わり、他の越後の藩も続いて参加する結果となっています。
また東北地方の平定の為に派遣されていた朝廷側の人物、世良修蔵(せらしゅうぞう、長州藩士)さんが同僚に宛てた手紙の中で東北地方での朝廷側の行動にあまり成果が出ていなかったためか、奥羽諸藩は皆敵だという所見が書かれていました。そのことを知り仙台藩の関係者が激怒し世良さんを殺害するという事件も発生しています。このような事件が起きると朝廷側の東北諸藩に対する風当たりは当然強くなることが考えられます。同盟の成立にはこのような事も影響したのかもしれません。
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今回は奥羽越列藩同盟を取りあげてみました。実際には新政府軍の攻勢に短期間しか持ちこたえることが出来なかったものの、合計すると非常に広大な領地となるこのような同盟が成立したことはやはり特記すべき出来事だったのではないでしょうか。
会津藩や庄内藩の扱いを穏便にしてほしいという考えが同盟成立のそもそものきっかけということですから、何と言いますか、東北の諸藩は義理堅かったんですね。
朝廷側が会津藩や庄内藩に柔軟な対応を示せば会津藩も庄内藩も他の東北、越後諸藩も朝廷側の軍に抵抗することなく従った、ということはないのでしょうか。江戸無血開城という先例がありながら、なぜ東北や越後で朝廷側は頑なな姿勢のままだったのか。対応にあたった朝廷側の人物がどのような者であるかによってこういうことは左右されてしまうんでしょうかね。東北越後諸藩の勢力と朝廷側の勢力の争いで命を落とされた方々の中には有為な人物がたくさんおられたことでしょう。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と写真に関係はありません。ご了承ください。
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