ソ連が連合国側として参戦した理由は何だったのでしょう

ソ連が対日参戦した理由

 

ソビエト連邦は西暦1945年(昭和20年)8月、日本国に対し宣戦布告し連合国側の一員として第二次世界大戦に参戦しました。ソ連が日本に対し参戦した理由としては事前にアメリカやイギリスなど連合国側と約束をしていたからだと言われています。1945年の2月、参戦の半年前に黒海にあるソ連の領土となっていたクリミア半島のヤルタという場所にアメリカ、イギリス、ソ連の首脳が集まり会談しています。ヤルタ会談と呼ばれていますが、その会談によって協定が結ばれることとなり、結ばれた協定の内容の一部は公表されましたが秘密の協定もありました。公表されなかった協定の内容はソ連の対日参戦に関わる約束でした。第二次世界大戦でドイツが連合国側に降伏をした後、3か月以内にソ連は日本に対し宣戦布告、参戦するという内容です。ヤルタ会談でこのような協定が結ばれたのはアメリカやイギリスが日本を降伏させるためソ連が対日参戦する必要があると考えソ連に参戦を求めたからです。それ以前の1943年の時点からアメリカは既にソ連に対日参戦するよう求めていました。しかしソ連はドイツとの戦闘で大変だったためアメリカ側の求めにはすぐに応じられなかったようです。

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アメリカやイギリスはソ連が対日参戦してくれた見返りに千島列島や樺太の南側をソ連領にすることや満州地域の都市である大連(だいれん)の港についてソ連側の権利が優先されること、ソ連が満州地域に存在する大きな半島、遼東半島の先端にある都市、旅順(りょじゅん)を中華民国から借りる権利を得ること、南満州鉄道の経営にソ連が参加する権利を得ること、モンゴル人民共和国の支配地域について現状を維持することなどを認めることとしました。旅順は軍事的に重要な場所で一年中凍ることの無い港があります。ソ連はこのような利益を得ることが出来るということもあり、アメリカやイギリスの求める通り参戦することを約束しました。以上のような秘密の約束をソ連はアメリカやイギリスとしていたわけですが、日本に対する宣戦布告の中ではソ連が参戦する理由として日本がポツダム宣言を受け入れる姿勢を見せていなかったことや連合国が日本の侵略に対抗する戦争にソ連も参加して世界平和に貢献するよう提案があったこと、各国の人々を苦しみから救って、日本人が降伏を拒否することで受けてしまうような危険性や破壊を回避することなどを挙げています。ポツダム宣言は1945年の7月にアメリカなどによって表明されていましたが、日本はソ連が対日参戦する前の段階ではまだ受け入れるとも拒否するとも明確に意思表示していませんでした。鈴木貫太郎首相がポツダム宣言に対しては「黙殺する」とは言っていたようですけれど。日本が天皇の立場や権限を保持することを条件にして宣言を受け入れると連合国側に通告したのは8月の14日です。

 

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日ソ中立条約の存在

 

ただ、ソ連は日本と1941年の4月に「日ソ中立条約」を結んでいます。日本とソ連はお互いの国の領土を侵さないことや、日本とソ連どちらかの国がどこかの国と戦争になったとしても、お互いに対し宣戦布告せず中立を守ることなどが約束されている条約でした。この条約の有効期間は条約締結時に5年間ということで両国とも了承しています。ですので本来1946年の4月までソ連は日本に対し参戦できないはずでした。これについてはソ連側が前もって動きを見せています。1945年の4月にソ連は日本に対し中立条約の有効期間を延長しないと伝えていました。この条約の有効期間を延長しないという日本に対しての通告がされたので、対日参戦しても問題は無いという意見もあるのだそうです。しかし日本側はソ連が有効期間を延長しないと通告してきた時に有効期間は1946年4月までであることをソ連側に認めさせていたそうです。そういう状況の中1945年8月に対日参戦しているわけですので、このソ連の行為については条約内容を遵守していないという批判が根強いです。

 

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今回は1945年8月のソ連対日参戦について取りあげました。この出来事によって日本政府はソ連の仲介による連合国側との和平の可能性をあきらめるしかなくポツダム宣言を受け入れる方向に動いていくことになります。戦争を終わらせることと非常に深い関係がある出来事だったようなので関係する話を一部調べてみることにしました。宣戦布告の内容にはポツダム宣言を日本が受け入れなかったとか世界平和回復に貢献とか各国国民を苦難から救うとか日本人を危険と破壊から回避させるといったことが参戦理由として書かれているようですが、ソ連の軍事行動でたくさんの日本人が死亡している事実がありますので「よくそういうこと言うよね」という気はしてしまいます。ヤルタ協定の中身を知りますと、それが本音で宣戦布告の内容が建て前といった感じがしますね。どこの国も似たり寄ったりなのかもしれませんが。日ソ中立条約に関してはソ連が裏切っているように私は感じます。世界が混乱している時には国家間で結ばれた約束がきちんと守られる保証なんてありませんよということを、このソ連対日参戦は示しているような気がしました。いざという時のことを考えて平和な時から対策を立てておかないといけないのでしょうね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

日ソ間に当時存在していた条約について触れている話「1941年締結の日ソ中立条約とは?締結した理由についても」はこちらです。

世界大戦以前の日本軍とソ連軍の戦闘について触れている話「張鼓峰事件とは?発生した場所や昭和天皇の反応についても」はこちらです。

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