日本史で出てくる鎌倉時代の「悪党」とは何なのでしょう

日本史に出てくる鎌倉時代の悪党

鎌倉時代の歴史に関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりに日本史で出てくる「悪党 あくとう」と呼ばれる存在について書いてみたいと思います。一般的に「悪党」というと「悪さをする輩(やから)、集団」などといった意味があるかと思います。悪いことをするような者はどの時代にもいるでしょうから、そもそもそういった意味で日本史が取り上げることも無いでしょう。鎌倉時代に呼ばれていた悪党というのは一部の人々にとっては悪い存在ですが、先ほど出した一般的な意味での悪人、無差別に強盗などの犯罪をおこなうような誰から見ても悪い人といった意味とは異なります。主に鎌倉時代後期の活動が目立った悪党というのは、鎌倉幕府や荘園の所有者に反抗する人々のことを意味する呼び名として使われていたようです。反抗というのは具体的には荘園という領地から荘園の所有者に本来納められることになるはずの年貢(ねんぐ)、税負担のようなものですね、その年貢を奪ってしまうようなことをしていたそうですし、荘園である土地、所有者が決まっている土地を奪って自分たち悪党のものにしてしまうようなことをしていたそうです。ですので荘園の持ち主や当時世の中を治めていた、規則に照らし合わせて犯罪と判断されるような行為を取り締まる立場だった幕府から見てみれば悪さをする奴ら、悪い奴らという意味にもなるかと思います。しかし荘園の関係者とは違う人に対して犯罪をおこなったり危害を加えていたというわけではないので一般的な意味の悪党とは異なります。

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どんな人が「悪党」になったのでしょう

鎌倉時代の「悪党」には様々な立場の人がなっていたと言われているようです。幕府との間に主従関係が無い非御家人(ひごけにん)、御家人ではない人もいました。御家人というのは幕府に仕える武士のことで、幕府から特定の領地の所有権を認めてもらったり、働きに報いるという意味で新たな領地を幕府が与えてくれたりするような、幕府からの土地に関する利益供与があり、そういった幕府からの利益供与に応えるために幕府のためにいくさで戦ったり幕府の求めるお役目を担当したりしていました。非御家人は鎌倉幕府とそのような関係のない武士の方々です。幕府とつながりのない武士の方々もいたのですね。貴族や宗教勢力など武力を保有して財産を守りたいと考える人々もいたでしょうから、そういった人々に武力を提供する武士の方々もいたのでしょう。朝廷ももちろん武力は必要でしょうし。

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また経済的に困窮した本来幕府に仕えるはずの御家人の中からも悪党となる人が出たなどといった指摘もあるようです。ご先祖が幕府から領地をいただいていたとしても世代を経るに従い、相続にあたって兄弟間で領地を分割し子孫の武士の方々が保有する領地がとても小さくなり、その小さい領地から納められる収穫物だけでは生活していけない、生活が苦しいといった御家人のかたがたもおられました。そのままでは生きていけなく、一部の御家人は悪党となり荘園の利権を得ようとしたというわけです。またその土地の豪族(経済力があり武力もあるような勢力のことですね)、名主(みょうしゅ 荘園の持ち主から荘園の管理や年貢の徴収などを任されている立場のかた)から悪党になるかたもおられたそうです。悪党という存在は近畿地方などで活発に行動していたそうです。西日本は東日本に比べてどうしても鎌倉幕府の力が及びにくい状況だったそうで悪党としてもそのような地域のほうが都合は良かったようです。幕府が存在するのが関東ですし、東日本の武士の方々と幕府の結びつきは強かったようですので。

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今回は鎌倉時代の日本史の中に出てくる悪党について一部取りあげました。悪党については社会や歴史の時間に「普通に言う悪党とは違うんだよ。気を付けてね。」と先生に習った記憶はあったのですが、じゃあどういう存在かというとよく覚えていなかったため、内容を確認したく今回のようなテーマの記事を作ってみることとしました。鎌倉幕府を倒す勢力の中にも楠木正成(くすのきまさしげ)さんのような悪党と見なされていた人々が加わっていたそうですし、後醍醐天皇をトップとする朝廷側もそういった悪党などの武装勢力と連携したそうですので歴史を動かした存在とも言えます。御家人の方々の大半が経済的に余裕を持っていれば悪党になることも無かったのでしょうし、非御家人や豪族、名主といった人々も経済的に困っていなければ他の人が持っている土地の収穫物や土地自体を奪おうともしないのでしょう。荘園領主や幕府が任命する地頭といった存在に圧力をかけられ栽培した農作物の一部を税負担のような形で納めさせられるといった、経済的に追い詰められた状況が荘園領主や幕府に反抗する存在を生み出したといった見方もあるようです。経済的につらい立場の人々をたくさん生み出してしまうような世の中の仕組みになると鎌倉時代の「悪党」のような反抗する存在が増えてくるものなのかもしれません。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事ではacworksさんによる写真ACからの写真を利用させていただいています。

有名な「悪党」のお一人、楠木正成さんがかかわる話「楠木正成さんと後醍醐天皇はどのような関係だったのでしょう」はこちらです。

鎌倉幕府による貧しい御家人救済策について触れている話「鎌倉幕府が永仁の徳政令を出した理由は何だったのでしょう」はこちらです。

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