江戸時代にキリスト教が禁止された理由は何なのでしょう

江戸時代にキリスト教が禁止された理由

 

17世紀に入り徳川家康さんが江戸幕府をひらいて日本全国を統治することになるわけですが、幕府を開いた時から徳川氏はキリスト教を禁止、弾圧していたわけではありませんでした。西暦1612年(慶長17年)、徳川家康さんが征夷大将軍になって(1603年)から9年後にキリスト教禁止の動きを見せるようになります。1612年までは国内での布教活動を積極的に推進するわけではありませんでしたが禁じもしない、黙認のような姿勢だったと言われています。それが1612年になって方針を変えてキリスト教禁止、禁教に乗り出した理由は何だったのでしょう。キリスト教を布教したがる一部の他国勢力や信仰している国内勢力が今後自分たち幕府側の統治を脅かすことになるのではないかと警戒したことやキリスト教布教を許可しないでも欧州との貿易の利益を得ることが出来るという算段、国内を治めるにあたってキリスト教の教えがあまり合わないことなどといった内容が理由として挙げられることが多いようです。直接の理由として徳川家康の側近で大名となっていた本田正純(ほんだまさずみ)さんという人の家臣と九州のキリシタン大名だった有馬晴信さんという人の間でおこなわれた贈収賄事件がきっかけになったという指摘もあるようです。贈収賄に関与した家臣と有馬さんは共にキリスト教信者でした。

 

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一部他国勢力への警戒

 

江戸時代が始まる以前、戦国時代からポルトガルなどの国との貿易が日本では行われていました。日本との間で戦争していたわけでもありませんし、江戸時代になっても日本を治める江戸幕府としては他国と貿易して利益を手にしたいという望みがありますし、特に理由が無ければキリスト教の布教に強く関わる国とも交易は続けたいと思って不思議ではありません。江戸幕府成立以降もしばらくはポルトガルやスペインといった当時南蛮と言われた国々との付き合いは続いていましたが、1600年に商船の漂着がきっかけとなって始まった江戸幕府とオランダ人やイギリス人との交流が更に深まっていき、状況が変化していきました。交易をするようになったオランダやイギリスが「キリスト教布教を口実にしてポルトガルやスペインは日本を侵略しようとしている」といった内容を江戸幕府に伝え、警告していたのだそうです。実際キリスト教を禁止するようになってからカトリック信者の多い、キリスト教布教に熱心だったポルトガルやスペインといった国々との交流を幕府は断っていくことになります(1639年にポルトガルとの交易は無くなりました)。代わりにキリスト教の布教にこだわらないで貿易をする姿勢であったオランダとの交流を続ける判断をしました。

 

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国内勢力に対する警戒

 

戦国時代からポルトガルやスペインの宣教師が日本に入り国内で布教活動をおこなって民衆に限らず、一部武将にもキリスト教を信仰する人たちがいました。高山右近さんは有名ですけれど、キリシタン大名は西国にそれなりに存在していました。先ほど少し触れた九州の大名、有馬さんもそうです。時代劇で更に有名になった黒田官兵衛さんもキリスト教を信仰していた時期があったようです。江戸時代が始まった頃国内にキリスト教を信仰する人たちは結構いたらしく、まだキリスト教禁止の命令を江戸幕府が出していなかった時期、1609年あたりの国内信者数は75万人くらいだったという指摘もあるようです。こういった人たちが幕府に対し反乱のような武装蜂起をしたら・・・、と考えるとやはり江戸幕府にとっては脅威に感じるかもしれません。また豊臣残存勢力との戦闘である大阪冬の陣や夏の陣が起きたのは1614年と1615年です。キリスト教禁止命令を出す以前は大阪に豊臣秀頼さんたちがいたわけで、そういった豊臣勢力とキリスト教信仰勢力が協力するようなことになると徳川にとってはよりやっかいなことになりかねません。

 

キリスト教の教義

 

キリスト教では天地創造の神の前にあっては、人々は分け隔てされない、差別されない、イエスキリストを救い主として受け入れ、告白するかどうかによって選別されると言われてはいるものの、本来人々はみんな神様から愛されている対象ということになっています。そのため当時の日本にあったような身分、階層、主従関係を厳しく律するような考え方には合わなかった、だから幕府はキリスト教を排除しようとしたという見方もあります。

 

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今回は江戸時代にキリスト教を禁止することになった理由について一部取りあげました。幕府がキリスト教を禁止して信者を厳しく弾圧したという話は覚えていたものの、理由については国内の身分、秩序にそぐわないからといった話の他は思い浮かばず、確認してみたくこのようなテーマで記事にしてみました。江戸幕府が禁教に動いた要因としてオランダやイギリスといった国々の影響は大きかったのかもしれませんね。徳川家康の本当の動機などというものは直接本人に確認することも出来ないので推測に頼るところが大きい気もしますが、国を治める立場としてはポルトガルやスペインが日本を乗っ取ろうとしているなどと言われれば怖いに決まっていますし、念のため手を打とうと考えても不思議はありません。ただ本当に侵略の意思がポルトガルやスペインにあったのか私には確認のしようがありません。ただ、一時期、キリシタン大名が日本の国土である長崎などの土地をポルトガルやスペインとの関係が深いカトリックの修道会に永久に修道会のものですということで寄進したなんていう話が本当にあったそうですから被害妄想と決めつける気にもなれないように感じます。キリスト教布教と侵略に関しては、世界史の記事を扱うような時に取りあげることが出来たらと思います。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

イギリスが清に様々な要求をする話「アロー戦争とは?起きた理由と戦争した国、結ばれた条約について」はこちらです。

キリスト教も多少からむ現地の一部の人たちの不満が爆発した話「義和団事件、北清事変とは?日本の対応についても」はこちらです。

 

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