一字千金とは?読み方や意味、由来となった話について

「一字千金」の読み方

 

故事成語「一字千金」は「いちじせんきん」と読みます。日常よく使われる音読みの通りです。

 

「一字千金」の意味は

 

「一字千金」は非常に優れた文章や文字であることを意味する場合が多い故事成語です。文章や文字を評価する意味では様々なところで取りあげられていますが、他にも「お世話になった師匠からいただいた恩が大変厚いこと」を意味する場合にも使われることがあるのだそうです。私はどちらも知りませんでした(汗)。

 

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「一字千金」が故事成語となった由来の話

 

大昔の中国の歴史書「史記(しき)」に載っている話が故事成語「一字千金」の由来となっているようです。私なりに現在の言葉で表現してみます。誤ったところがあるかと思いますがご了承ください。

 

大昔の中国には魏(ぎ)や楚(そ)、趙(ちょう)、齊(せい)という国が存在していました。魏という国には信陵君(しんりょうくん)、楚という国には春申君(しゅんしんくん)、趙という国には平原君(へいげんくん)、齊という国には孟嘗君(もうしょうくん)という人物がいました。これらの人たちは立派な人材を大切にし喜んで食客を大勢抱えていました。大勢抱えすぎたため負担となっていました。

当時の中国に秦という国がありその国に呂不韋(りょふい)という人物がいました。彼は秦という国が強さで魏、楚、趙、齊などの国に劣っていることを恥ずかしく思っていました。また優秀な人材を招き入れ良い待遇を与えていました。食客が3000人もいました。

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当時諸国には話しぶりの見事な人たちがたくさんいました。思想家として有名な荀子(じゅんし)の弟子たちのように自説を説いた本を作って世の中に広めている人たちもいました。

そんな風潮の中、秦の呂不韋さんは抱えていた食客の人たちに持論を述べてもらい、その主張を記録し編集して八覧、六論、十二紀などの書物を作りました。「私が思うにはこれら書物に書かれていることは天地万物古今あらゆることを網羅している。」と呂不韋さんは言い、作った書物を「呂氏春秋(りょししゅんじゅう)」と名付けました。秦の首都、咸陽(かんよう)の街の門の近くで作った書物を広げ、その上に千金ものお金を置いて自分の意見を遊説して諸国を回っている人や大切な客人を招き「一字だけでもよりふさわしく訂正できた場合は、その人に千金をさしあげよう。」と言いました。

 

以上のような話が「史記」に掲載されているそうです。つまり秦の有名な政治家が食客の人たちに述べてもらった主義主張を編集して本にし、非常に素晴らしい出来だということでこれ以上の内容に書き直せるなら大金をあげますよと言って広めた、そういう話ですね。

 

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少なくとも私の場合には一字千金は普段の生活で耳にすることがない故事成語ですね。全く知りませんでした。一日千秋とか一騎当千といった四字熟語は聞くことがありますけれど。

また、「お世話になった先生、師匠から受けた恩が非常に厚いこと」という意味については由来となった史記の話とはあまり結びつかない気がします。ただ指導してくださった人の恩を貴重なものと思う、というのはなかなか律儀なことでしょうし意義深い故事成語と言えるのではないでしょうか。

私は一字千金に値する文章や書とはあまり縁が無いです。素晴らしい文章を書けるものなら書いてみたいという思いは無いわけではありませんが。人間国宝のような方々の作品に対する形容としてこの故事成語の意味(優れた文章や文字という意味)はふさわしいのかもしれませんね。

補足ですが、由来となった話に出てくる魏(ぎ)や楚(そ)、趙(ちょう)、齊(せい)の国の信陵君(しんりょうくん)、春申君(しゅんしんくん)、平原君(へいげんくん)、孟嘗君(もうしょうくん)といった人たちは戦国四君と言うそうです。中国大陸には戦国時代があったそうですがその時代に活躍した四人の人物としてこの方たちは大変有名なのだそうです。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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