「陰徳陽報」とは?意味や由来となっている古典について

「陰徳陽報」の読み方

 

四字熟語「陰徳陽報」は「いんとくようほう」と読みます。全てよく読まれる音読みかと思います。

 

「陰徳陽報」の意味は

 

「陰徳陽報」は「他の人が知らない状況でよい行いをすると必ず良い結果を享受することになる。」という意味のようです。この四字熟語の意味を調べてみましたが「良いことがある」ではなく、「必ず良いことがある」という記述になっていました。「必ず」が付いてくるんですね。

これと同じ意味である故事成語に「陰徳あれば必ず陽報あり」というのがあります。四字熟語の「陰徳陽報」の意味に「必ず」が付くのはこの故事成語の影響なのかもしれません。

 

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「陰徳陽報」の由来となっている古典

 

「陰徳陽報」は中国の古典「淮南子(えなんじ)」の「人間訓(じんかんくん)」という篇の中にある一節を由来としている四字熟語です。

淮南子は中国大陸に漢(かん)という国(前漢)が存在した時代に作られた本です。当時の中国に存在していた様々な立場の思想を取り入れて書かれているようです。有名なものでは老子や荘子の教えからなる道家(どうか)という思想や孔子の教えからきている儒教などがありますが、他の思想についても含んだ本だそうです。

 

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人格が優れ立派な政治を行う王様が慈悲深い政治を広くいき渡らせ、民をいつくしむ行いをするのは、その良い行いによる報酬を民衆から得ようとしているからではない。天や自然に感謝の思いを捧げる祭りを行う人や王様が祖先の方々にその年出来たばかりの収穫物をお供えする祭祀は自分たちの幸福や繁栄を、恐れ多い神に求めるために行っているのではない。

山は非常に高いことで雲が発生することとなるし、水が大量にたまって著しく深くなることで竜になるような生き物が住み着く。素晴らしい人格が備わった人はその素晴らしい人格を理由とする行いによって最終的には幸せとなる。

そもそも人が見ていない所でひそかに良い行いをしている人には、必ず良い事柄がやってくることとなる。人知れず良い行いをしている人は必ず名誉を得ることとなる。

 

淮南子の関連個所には現代の言葉で表現すると以上のような内容が書かれているようです。誤ったところがあるかと思いますがご了承ください。

 

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陰ながらよいことをしている人に良いことが訪れるのかどうか私には確信を持って言えることはありません。ただ、そんなような気もしますし、そうであってほしいなという気持ちが心のどこかにあるような感じもします。また、自然界に実際にそのような法則があるのだとしたら検証してみたい気もします。一か月間買い物をした時に人目のないところで募金箱に小銭を入れるようなことをしたら良いことが訪れるのかどうか、なんてことで検証できるかどうかよくわかりませんけれどね。

陰ながら良いことをするというのは人の有り方として大変素晴らしい、立派なように思います。なかなか出来ることではないし習慣にするのは難しそうな気もします。だから周囲の人がその行いを知ったら多少なりとも感銘を受けるのではないでしょうか。そうすると周囲の人の評価も上がって知らないうちにその人に良いことが起こるようになる、そういうことなのかもしれません。

良いことがやってくるからという理由で見えない所で良いことをするのと見返りを求めないで人知れずよい行いをするのとでは、またそれはそれで違いがあるようにも感じますが、どうなんでしょう。淮南子にある内容によれば違いが出てきそうですね。

淮南子では様々な思想を取り入れているようですがこの陰徳陽報がどの思想を反映した言葉なのか今回調べていてよくわかりませんでした。淮南子の人間訓(じんかんくん)には他に有名な故事成語「人間万事塞翁が馬」の話も掲載されています。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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