故事成語「四面楚歌」とは?意味や読み方、由来について
「四面楚歌」の意味
周りを敵に囲まれてしまって味方がおらず、孤立してしまっている状態のことを言います。敵という事ではないですが、自分の考えに「反対する人」しか自分の周りにいない状態でもこの言葉が使われることがあるようです。
まわりを見ても敵しかいない状態で味方もなく独りぼっち、です。非常に気の毒な状態ですよね。
「四面楚歌」の読み方
故事成語「四面楚歌」は「しめんそか」と読みます。四面は四方向、周囲ということになるかと思います。楚(そ)は中国に昔存在した国の名前です。歌はそのままですね。四面楚歌は字面を見ると「四方向から楚の歌」という事になります。
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故事成語「四面楚歌」が出来た由来
「史記(しき)」という古典の中にある話が由来となります。中国の漢という国と楚という国が戦争していました。楚の項王が率いる軍は垓下(がいか)という地域に城を作って立てこもりました。兵員の数も少なくなってしまい、食料も少なくなっていきました。
楚と敵対していた漢の軍隊や漢に味方する武将の軍が(楚の軍が立てこもる)城を何重にも取り囲みます。
このような状況で夜間に漢の軍隊が取り囲んでいる四方からなぜか楚の国の歌が聞こえてきました。これを聞き項王は大変驚きました。楚の歌が漢の軍の中から聞こえてくるという事は楚が既に漢の支配に下ってしまったということか。こんなに楚の民が大勢ここに連れて来られているとは・・・。
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このような話が書かれている箇所が史記にはありまして、この出来事から「四面楚歌」が誕生しました。項羽と劉邦の話ですよね。項王は項羽のことだと思います。非常に形勢が不利だったわけですが、実は項羽さん、この立てこもっていた場所から抜け出すことに成功したんですね。それはそれで凄いことのような気がしました。何重にも取り囲まれていたというのによく抜け出せましたよね。
「四面楚歌」の使い方
実際に戦争が行われている時に取り囲まれた状態であればこの故事成語は使える表現かと思います。
例えば1945年8月の大日本帝国はアメリカ合衆国、ソビエト連邦、中華民国といった国に取り囲まれた状態で同盟を結んでいた国も敗れてしまい孤立した状態でした。このような場合は「当時の日本は四面楚歌の状態だった。」と表現することが出来るかと思います。
周囲が自分の意見に反対の人ばかりの場合ですが、例えばこんな状況はどうでしょう。
ある歯医者さんのご家庭にお生まれになった、ただお一人の息子さんが高校生になってからミュージシャンになるために上京したいと言い始めました。両親も親戚のみんなも猛反対し高校生の息子さんに味方してくれる身内の方は一人もいらっしゃいませんでした・・・。このような状況の場合ですと、高校生の息子さんの立場からすると「この時の私は四面楚歌の状態だった。」と言えるのではないかと思います。
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今回取りあげてみた四面楚歌ですが、この状態になると挽回するのも相当難しいでしょうね。四面楚歌は悲惨だから、どうやったらこのような状態にならずに済むものなのかよく考えるというか、負ける戦はしないようにというのが教訓になるのでしょうか。
それと皆が反対することが明らかな意見は主張しないほうがいいということになりますかね。周りの人の中の一部でも賛成にまわってくれるような意見の修正をする必要があるのかなぁと思いました。
戦争の場合は周囲の国が全て敵側にまわることのないような妥協が必要という事なのでしょうか。でもどうにもならないことは意外と多いものかもしれません。簡単な話ではなさそうです。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
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