新体制運動が盛り上がる中発足した第二次近衛文麿内閣とは?

第二次近衛文麿内閣とは

 

第二次近衛文麿内閣(だいにじこのえふみまろないかく)とは西暦1940年(昭和15年)の7月に誕生した内閣です。その前の米内光政(よないみつまさ)内閣は陸軍大臣畑俊六さんが辞職しその後の後継陸軍大臣を陸軍が出さなかったことで内閣が成立しなくなり退陣しています。次の内閣を誰にお願いするかということで昭和天皇の重臣たちが協議することになるわけですが、新体制運動という政治運動の勢いが強まっている中近衛さんにやってもらうことを支持する人が結果的には多数派となったようです。元老の西園寺さんはかつて近衛さんに内閣を担当してもらうのを切望していました。1936年の226事件の発生によって時の岡田啓介内閣が退陣した時は嫌がる近衛さんにしきりに西園寺さんが内閣を担当させようとしました。しかし今回むしろ積極的に首相になりたがっている近衛さんを西園寺さんは次の内閣を担当してもらう人物として不適切と判断したようです。第一次近衛内閣当時の政治を見たからそう判断したということなのかもしれません。

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発言力の強い西園寺さんは結局次の内閣を担当するのにふさわしい人物を誰も推薦せず、他の重臣が決めることとなり近衛さんにお願いすることとなったようです。昭和天皇と近衛さんの間でこの当時どのようなやり取りがあったのかわかりませんが結果的に昭和天皇から首相職を担当して内閣を組織するよう命令が出されたわけですから近衛内閣発足を拒否したはずがありません。内閣が成立する数日前近衛さんは第二次近衛内閣で海軍大臣、外務大臣、陸軍大臣を担当してもらう予定になっていた人たちを私邸に招き、これから発足する内閣がおこなう政治の方針について協議したのだそうです。この会談に参加した人たちの間で確認された方針はその後間もなく「基本国策要綱 きほんこくさくようこう」として閣議決定されました。日本の外交は大東亜の新秩序の建設を根幹とするとか新政治体制にすぐ対応できるような議会制度の変更とか漠然とした内容ではありますが。その他にも近衛さんの私邸ではドイツやイタリアとの連携を強化することやソビエト連邦との不可侵条約を結ぶことなども話し合われたそうです。

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この第二次近衛内閣の首相はもちろん近衛さんで、外務大臣は国際連盟を脱退した際日本側の全権として関わっていた松岡洋右(まつおかようすけ)さん。陸軍大臣は東条英機(とうじょうひでき)さん。東條さん、この方の名前が出てまいりましたね。海軍大臣は吉田善吾(よしだぜんご)さん。この方は数か月という短期間で大臣職を辞めることになります。この第二次近衛内閣は約一年間続くことになります。その間におこなわれたことというのはフランス領インドシナ北部への日本軍の進駐、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結などがあり、当時首相であった近衛さんが中心となった新体制運動によって大政翼賛会が誕生することになります。歴史的に重大なことがたくさん起きています。新体制運動というのは当時の日本が置かれていた状況のような、他国と戦闘しているような非常時に対応することが出来る国内体制を整えることを目的とした政治運動で、1940年6月頃は特にこの運動が強まっていました。近衛さんは天皇の諮問機関、枢密院(すうみついん)の重職、議長という立場を辞してまでこの運動に参加するという熱の入れようでした。

 

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今回は第二次近衛内閣に関し一部取りあげてみました。重大なことをしている内閣ですし、このような内閣がなぜ発足したのか可能な範囲で調べてみたかったためこのテーマの記事にしてみました。元老の西園寺さんが近衛さんの首相就任に賛成しなかったのは、近衛内閣になってしまったら上に書いたような三国同盟が締結されたり英国、米国との関係が悪化することが予想されたからなのかもしれません。米内光政内閣の誕生を強く支持された昭和天皇ですから、近衛さんが首相になった場合英米との関係が悪化することを懸念されたんじゃないだろうかと個人的には勝手に推測しています。英米との協調路線を評価しようとしない陸軍が近衛さんを支持しているのですから。しかし特に重臣たちの出した結論に昭和天皇が異議をさしはさまれたといった話を目にすることはありませんでした。政治にたびたび介入することは状況的に困難だったんでしょうかね。今回の第二次近衛内閣は第一次近衛内閣の場合と違って近衛さん自身内閣を担当するのにとても積極的だったようですが、この内閣は約一年で終わることになります。松岡洋右さんを外相の座から引き摺り下ろすことが第二次近衛内閣退陣の理由だと言われているようですが、また別の機会に記事で取りあげてみたいと思います。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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