豊臣秀吉さんが朝鮮出兵を実行した目的は何だったのでしょう

豊臣秀吉さんが朝鮮出兵をした目的

 

秀吉さんが日本国内を平定、国内の他の戦国大名が秀吉さんに反抗せず家臣として従うという枠組みが成立したのは天正(てんしょう)18年、西暦1590年だったと言われています。天下統一した秀吉さんはそれからあまり時間が経過していない文禄(ぶんろく)元年、西暦1592年に日本の諸大名に指示し多数の軍勢を動員して大規模な攻撃を朝鮮半島の朝鮮国に対しおこないました。文禄、慶長の役、朝鮮出兵、朝鮮侵略などこの行為に関する呼称はいろいろあるようですが、とにかく秀吉さんがおこなった対外政策として歴史的に非常に有名な出来事です。結果としては秀吉さんが亡くなるまで朝鮮半島、中国大陸への攻撃は続けられることとなりました。秀吉さんの死亡後朝鮮から日本の軍勢は撤収することとなります。秀吉さんが亡くなったのは慶長(けいちょう)3年、西暦1598年です。1592年から1598年の間に停戦期間が長く存在しましたけれど、2度にわたりこのような軍事行動を秀吉さんは何のために実施したのでしょう。国内だけではなくアジア大陸も征服したいという欲望のため、支配下とする土地を増やす必要があるため、世界的な規模で勢力を広げる他の国から日本を防衛するためなどといったことが多く指摘されているようです。

 

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征服したい

 

自分が支配する領域を大きく拡大し支配者としての威厳をますます強めたいという目的で朝鮮出兵をおこなったという指摘は以前からあるようです。織田信長さんがもともと他国に進出したいという考えを持っていたので、もともと信長さんの家臣であった秀吉さんが結果的にそれを引き継いで朝鮮出兵に乗り出したという見方もあるようです。朝鮮、明国を支配下に置き、その後はインド地域にも勢力を拡大しようと考えていたとも言われています。領土拡大構想のスケールは本来とんでもなく広大だったのかもしれません。

 

領地獲得の必要に迫られて

 

支配下に置いた日本国内だけでは秀吉さんに従った武将たちに与える領地が足りないため、今後手柄を立ててくれた武将たちに与えてあげる報奨としての領地を得る目的で大陸に侵攻しようとしたという見方も以前からあるようです。国内の武将は秀吉さんに従うことを誓う状態になっていますから新たに手柄を立てたお侍さんに褒美を上げようとすると、国内を支配しているだけでは秀吉さんが持っている土地を切り渡すしかありません。自分に従ってくれている武将の土地を取りあげて手柄を立てたお侍さんに与えていたのでは土地を取りあげられた武将から反発が当然出てきてしまいます。国内を治めるのに不都合なことになります。自分に従っている武将の土地も秀吉さんの土地も減らさずに部下の手柄に報いるためには別の土地が必要、ということで新たな領地が必要になって大陸に侵攻したという見方です。

 

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世界的な強国から日本を防衛するため

 

当時世界各地に勢力を広げていた強国、スペインから日本を守るために朝鮮出兵したという指摘があるようです。スペインから日本を守るために朝鮮に何故出兵するかですが、アメリカ大陸など他の地域で征服することに成功していたスペインが中国大陸の大国、明や明に服属している朝鮮国を支配下に置くことを憂慮したからというわけです。スペインによってフィリピンから限られた規模の軍隊が船で長距離航行し派遣され日本に攻撃してくる場合と比べ、日本と非常に近い地域である朝鮮半島や明に強固なスペインの軍事拠点が誕生してしまうと、もしスペインがそこから日本に対し大軍で攻めてきた場合、防衛することが非常に難しくなってしまいます。スペインの支配下にされてしまう前に朝鮮や明を日本の影響下に置いてしまい、東アジアでスペインが付け入る隙を与えないようにしようと考えた、その為の朝鮮出兵というわけです。

 

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今回は秀吉さんが朝鮮に侵攻した理由について一部取りあげました。江戸幕府が誕生する前後、幕府が成立して以降の話をこれまで取りあげてきましたが、少し時間をさかのぼり秀吉さんが君臨していた頃の話題を取りあげてみたく、有名な出来事である朝鮮出兵に関係した記事を作ってみることにしました。軍事行動をしたものの大陸に領土を獲得することが出来ずに結果的には失敗となってしまう話ですので、結果がわかっている立場としては何故そんな利益にもならないことを秀吉さんはしたのだろうと意図をはかりかねる感じもします。本来の目的は明国で、明国を攻撃するためには朝鮮半島を経由せざるを得ないから朝鮮半島に出兵したというのが直接的な朝鮮出兵の目的のようですが、明を支配下に置きたいと考えた秀吉さんの意図は他の歴史的な出来事と同様、やはり推測するしかありません。ただ征服欲を満たすという見方よりは恩賞としての土地を確保するためとか世界的な強国から日本を守る環境を整備するためといった見方のほうがより合理的ではある感じがします。スペインは明国に対し領土的野心を持っていた事がうかがえる文書もあるのだそうでスペイン脅威論が奇想天外な空論だと決めつける気にもなれません。現在の価値観で生きている私としては朝鮮を支配下に置こうなどとせず、明と日本が協力してスペインの侵略に共同して対抗したらよかったんじゃないのか、などと考えてしまいますが、そんな提案をしても明から拒絶されただけなのでしょうか。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

江戸時代の朝鮮半島との関わり方について触れている話「江戸時代の日本は朝鮮半島とどういった関係だったのでしょう」はこちらです。

明治新政府の一部で強まった主張について触れてい話「征韓論とは?征韓論が強まった背景や反対側の理由について」はこちらです。

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