真珠湾攻撃と日本外務省の宣戦布告通知の時間的関係は?

真珠湾攻撃の日時について

 

日本海軍の部隊がアメリカ合衆国の領土であるハワイ州の島の一つ、オアフ島に存在する真珠湾と呼ばれる地域を戦闘機などで攻撃した日時はハワイの現地時間で西暦1941年(昭和16年)12月7日の午前7時53分頃と言われています。これは日本の標準時刻やアメリカ合衆国の首都であるワシントンD.C.(ワシントンコロンビア特別区)の標準時刻にあたる東部標準時とズレ、時差があります。真珠湾攻撃が始まった時刻は日本時間で12月8日の午前3時23分頃にあたり、ワシントンD.C.、東部標準時では12月7日の午後1時23分頃にあたる時間のようです。まとめますと真珠湾攻撃は現地(ハワイ)時間で12月7日午前7時53分頃、日本時間で12月8日午前3時23分頃、ワシントンD.C.の時間では12月7日の午後1時23分頃に開始されてしまいました。

 

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日本の外務省の宣戦布告通知の日時について

 

当時の日本の政権、東条英機(とうじょうひでき)内閣の首相、東条英機さんは当時の外務大臣、東郷茂徳(とうごうしげのり)さんに戦争を始めることをアメリカに通知するよう指示しました。日本の外務省からアメリカ政府に最後通告が送られることになります。これが送られることは宣戦布告のような意味を持つ行為なのだそうです。最後通告文書(宣戦布告のような文書)が外務省の役人である駐米日本大使や特命全権大使からアメリカ合衆国の国務長官に渡された時刻はワシントンD.C.の時間で12月7日午後2時20分頃でした。真珠湾攻撃がおこなわれている現地ハワイの時間では12月7日午前8時50分頃であり、日本時間では12月8日午前4時20分頃になります。つまり日本軍による真珠湾への攻撃が始まってから1時間弱経過したタイミングで日本政府はアメリカ政府に最後通告文書を渡したことになります。当時のアメリカ駐在日本大使は野村吉三郎(のむらきちさぶろう)さん、特命全権大使は来栖三郎(くるすさぶろう)さん、アメリカの国務長官はコーデル・ハルさんでした。

 

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日本側の対応

 

首相の東条さんは昭和天皇から開戦の為の通知をアメリカに対しきちんと行うよう指示されたこともあり、外務大臣にアメリカ側に通知するようちゃんと命令しました。日本の外務省から最後通告の文書をアメリカに渡すようにという指示はアメリカ合衆国の日本大使館に12月6日の午前中には電信されたそうです。ただ、渡す最後通告内容が日本の外務省からアメリカの日本大使館に電信で全て送られたのは12月7日の朝だったそうです。最後通告を意味する文書の内容が多く、おまけに暗号で送られているので暗号を解読して、更に清書もしなければなりません。時間がかかりました。それにもかかわらず外務省の指示では最後通告の文書をアメリカ政府に渡すのはワシントン時間で12月7日の午後1時にするようにとなっていたのです。真珠湾攻撃が始まる20分くらい前の時間帯にアメリカ政府に通知しなさいよということですね。日本側の上層部としては攻撃前に通知するつもりだったようです。

 

アメリカの反応

 

アメリカ側は最後通告をアメリカ領土に対する攻撃後に受け取った形になりますので、反発も強くなりました。この事実を当時のアメリカ合衆国大統領(フランクリン・ルーズベルトさん)はワシントンD.C.の日時で12月8日、真珠湾攻撃があった翌日に卑劣な攻撃と称し日本政府、日本軍の行動が国際的に正当な手続きを踏んでいない奇襲攻撃であると強調しました。従来第二次世界大戦に参戦することについて反対意見がとても多かったアメリカの世論はこの真珠湾攻撃という非常に衝撃的な出来事を境に一気に戦争参加支持へと意見を変えていきました。アメリカ合衆国の連邦議会はこの真珠湾攻撃の後すぐに(ワシントン時間で12月8日)日本に対し宣戦布告することを可決しています。

 

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今回は真珠湾攻撃について取りあげました。日米、日英間の戦争が始まってしまいました。日本がアメリカに対しだまし討ちをしたというそしりを受けることになったのは攻撃よりも遅れて最後通告文書を渡したからなのですが、ルーズベルト大統領の攻撃翌日の演説では日本政府から渡された文書内容についても批判しているようです。きちんと開戦の意思を伝える内容ではなかったのでその点でも「卑劣」と言いたかったようです。大日本帝国の元首である昭和天皇や東條首相、東郷外相の指示が徹底されなかったことでいらぬ批判を戦う相手の国から受けることになったのは一日本国民としては本当に残念に思います。最後通告を長い文章にしたり、あいまいな表現でわかりにくくしたりすることについては外務省の役人の人たちにどのような意図があったのか、はっきりしたことは私にわかるはずもありません。ただ、アメリカ側から見て結果的な不意討ちとなることを意図してわざと最後通告文書の全内容が届く時間を外務省本省が遅らせたなどという見方もあるようです。そのような見方が本当なら国の上層部の意思と異なる対応を外務省の一部役人は敢えてしていたことになります。命令に素直に従わないことで、とんでもない結果をもたらす場合もあるということなのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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